今年も無事に第10回楽文コンテスト表彰式を行うことができました。
今年の入賞作品を見て特に感じたのが、皆文章の構成が上手いということ。
起承転結がしっかりできていてどの作品も読んでいるうちに
自然と引き込まれてしまいました。
今までもそうですが、今回の入賞作品はすべて「自分の思い」が
「自分の言葉」でしっかり書いてありました。
気持ちは文章に現れ、それは伝わるということを実感しました。
来年も夏に作品募集をする予定です。
「祭り」への熱い思いを書いた作品楽しみにお待ちしております。

楽文事業運営部会 世話人 中村巨樹






藤嶋 綾絵 宮地 桃子 小関 佑弥 大和 司 和田 昌也
周船寺小学校6年 舞鶴中学校2年 博多中学校1年 千代小学校5年 博多小学校1年
高松 勇士 山口 明香里 西原 雅貴 原 夏仁 大村 結子
博多小学校6年 舞鶴中学校2年 西陵中学校1年 博多小学校5年 博多小学校1年
高島 歩実 堀 聖太 三浦 美香 城戸 美穂 馬場 鈴華
香椎第三中学校1年 舞鶴中学校2年 香椎第三中学校3年 博多小学校5年 博多小学校4年
杉山 真優子 山出 彩花 松永 沙紀 國益 千緒吏 平井 優花
香椎第三中学校1年 香椎第三中学校3年 下山門中学校3年 博多小学校6年 博多小学校4年
日下部 光洋 板谷 晃良 酒本 七生 神代 新 二神 彰太
舞鶴中学校1年 香椎第三中学校3年 博多中学校3年 博多小学校6年 長丘小学校6年
     







博多祗園山笠振興会賞 藤嶋 綾絵 (周船寺小学校6年)
「観音祭り」
 私の住んでいる所では、毎年八月十七日に観音祭りがあります。年に一度、観音様を開放し、拝むことのできるお祭りです。しかし、同時に花火大会があり、今では、花火大会の方が有名です。
   花火は、池の上で上がるのですが、その池の前に私の家はあります。なので毎年、花火がきれいに見えます。花火は一時間ほどあります。最初は、ゆっくりとしたペースで打ち上がりますが、最後の十分間ぐらいは、 赤や青、緑に黄色と、色とりどりの花がたくさん夜空に咲きます。今年は、ちょうちょの形が新しくあました。去年の花火と比べるのも一つの楽しみです。
 もう一つの楽しみは、夜店です。やきとりやかき氷、くじ引きに金魚すくいなどの種類があります。とても広いはん囲にあるので、端から端まで行くのは大変です。なので私は近くまで行って帰ります。
 しかも、毎年見物の人が増えているように思います。その多くは、若い人で、あまりマナーがよくありません。みんなが帰った後、道路を見るとごみがたくさんおちています。近所の家では敷地内にごみを投げ込まれたり しているそうです。お祭りがにぎやかになるのは、とてもうれしいことですが、そういう事を見たり聞いたりすると、すごくいやな気持ちになります。私がほかの所のお祭りなどに行く時は、そこに住んでいる人のことも考えるように 気を付けています。ここに来る人達も、気を付けて欲しいです。
 お祭りを通していろいろな事を経験したり、学んだりする事が出来ます。観音様への感謝の気持ちや、花火での感動、マナーの大切さがわかりました。
 この観音祭りは、いろいろなことを学んだり楽しむことが出来るので、来年も多くの経験をしたいです。


博多祗園山笠振興会賞 高松 勇士 (博多小学校6年)
「走れ走れ山笠」
 7月1日から山笠が始まった。そしてさっそく7月1日からお汐井とりで、はこざきぐうからくしだ神社まで走りつかれていたら友達が心ぱいしてくれて、とてもうれしかったです。7月2日3日4日からは、 子ども山笠でした。子ども山笠1日目表をかついだりして色々な人に会えました。子ども山笠2日目友達と一緒に走って台上りをしてとても思い出に残りました。そして、子ども山笠3日目くしだ入りで、去年のタイムは こせず残念だったけれど、自分はとても満足で、友だちも先生もみんな泣きながらよろこんでいたので、みんなもたぶん満足だったんだなと思ってとてもよろこびました。そして7月9日から、また、お汐井とりで、ぼくは、 千代流だからはたをもって、走っていたら同じ町内の人が「かわろうか」とか、「だいじょうぶ」という声をかけてくれました。少しうれしかったです。理由は、7月1日にその人とケンカをして、ひと言も、声を出してくれなかったのに きつそうな顔をしていたぼくにたいして、笑顔で、「かわろうか」と言ってくれて、うれしかったです。そして、流がきや追山ならしや集団山見せがあって最終日になりました。15日朝早く起きて追い山が、始まりました。みんな色々な 人と協力して、なんとか追い山が、スタートしました。みんな「かわろうか」や「きつかったらかわっていいよ」とか、の声がいっぱいきこえてきていました。そして、追い山が終ってタイムをきくと2位でした。東流は、やっぱり1位でした。 そして、山笠の思い出の物がいっぱいできて、すごく楽しくてすごくきつかったお祭りでした。


博多祗園山笠振興会賞 高島 歩実  (香椎第三中学校1年)
「ステージの上のよろこび」
 私は、お祭りが大好きです。
 その理由は、屋台が出たり、たくさんの人の色んな出し物を見たりするからではありません。
 なぜなら、私はステージの上のお祭の方が多いからです。
 私は、「綾杉太鼓」という和太鼓のチームに入ってます。香椎では有名な、香椎宮の「しょうぶ祭り」や、「香椎宮祭り」などに、毎年出させていただいています。演奏の時も、たくさんのお客さんがきてくださって、たくさんのはくしゅをくれます。
 ステージの上は、たくさんのお客さんが、私たちを見ているので、すごくきんちょうします。特に、私は「篠笛」という竹の笛をふいているので、すごく目立ちます。イントロが笛で始まる曲では、スポットライトがないのに、 お客さんの目線がライトのように私を見ています。「これ失敗したらどうしよう」と、すごくドキドキしてしまいます。
 でも、太鼓の音がなったしゅんかん、小学生ぐらいの子も、若いカップルも、親子も、おばあちゃん、おじいちゃんも、お客さんみんなが、「おぉ!!」と、おどろきます。そして、それからは、誰も目をはなさず、夢中で演奏をきいてくださいます。
 お祭にきて、屋台で何かを買ったり。それも楽しいですが、お年寄りの方、小さい子と交流する事があまりないと思います。
 でも、私は和太鼓をやっているので、小さい子もお年寄りの方も、世代をこえて、楽しむことができます。終った後も、「おじょうちゃんいくつ?お上手ねぇ。」と言われたり、「お姉ちゃんが持ってるその笛ってなんていう笛?かっこいい!!ふいてみたーい。」
と、たくさん声をかけてくれます。
 演奏がうまくできたことよりも、うまくできたことでもらう、「拍手」や、「笑顔」や、「はげましの言葉」が一番の「元気の源」です。演奏をきいて、「やってみたい」という方もたくさんいます。すごくうれしいです。
 「お祭り」は、世代関係なく、楽しめます。
 その「お祭り」に、毎年呼んでもらって、さらにたくさんの言葉や拍手や笑顔をいただいて、本当にうれしいです。「元気をもらった!」といってもらえるなら、私はずっと、「綾杉太鼓」として演奏をやり続けようと思います。
   「お祭り」のおかげで、「綾杉太鼓」のおかげで、たくさんの人との交流ができ、うれしいです。
 「綾杉太鼓」として、「お祭り」で演奏ができることを「誇り」に思います。


博多祗園山笠振興会賞 杉山 真優子  (香椎第三中学校1年)
「みんなが楽しめるお祭り」
 わたしはお祭りが大好きです。今年も夏休みに二つのお祭りに参加しました。そのお祭りで感じたことが二つあります。
 一つ目は、地域の人達との交流です。わたしが行った二つのお祭りは、どちらもわたしが住む地域ではありませんでした。だから、食べ物を売っている人や、イベントの主さい者の人とはほとんど初対面の人でした。しかし、 その人達は優しくしてくれたり、食べ物を少し多くついでくれたりしました。それは、とても初対面の人にする対応ではなく昔から知っている近所の人にするような対応で、とても楽しく参加することができました。
 今ニュースでは、百才以上のお年よりが相ついで行方不明になっているということをよく耳にします。なぜこのような事態になってしまったかまだ分かりませんが、わたしはいろんな人とのかかわりが少ないことが原因の一つだと思います。 お祭りなどで築く新しい関係が広がれば、ふだんなかなか話さない人とも新しい関係ができ、連らくを取り合いこのような最悪な事態を防ぐことができるのだと思います。なぜそう言えるかというと、わたしも今回行った祭りで、 わたしの友達の友達と知りあいになったからです。だから、一回でも地域のお祭りに行っておくと、自分のことを知っている人が増えると思います。
 二つ目に感じたことは、ごみがたくさんあったことです。お祭りというものは、人が多く集まるところです。そのため、ごみ箱がいくつもあるのにもかかわらず、ポイ捨てをする人も残念ながら何人かはいるということになります。 わたしが今回行ったお祭りにもそのような人がいました。近くにごみ箱があるのに地面に捨てたり、だれが捨てたかはわからないけれどごみが地面に捨ててありました。しかも、ごみが地面にあるのにもかかわらず、そのごみをふみつけている 人もいました。しかし、このように書いているわたしも、ふみつけはしなかったけれど拾おうとはしませんでした。汚いという気もちもありましたが、だれかが拾ってくれるだろう・・・という気もちで、落ちているごみを見てみぬふりを してしまいました。だから、わたしはもちろんみなさんも、落ちているごみは、汚いという気もちを捨てて拾ってお祭りを楽しい、おいしい、そしてきれいというイメージにしたら、もっと世代をこえてたくさん人が来ると思います。
 このように、お祭りに行くと気づくことや感じることがたくさんあります。また、新しい関係を作る場でもあります。だから、わたしは来年も再来年そしておばあちゃんになっても、大人も子どもも楽しめるお祭りに行きたいと思います。


博多祗園山笠振興会賞 日下部 光洋  (舞鶴中学校1年)
「生きている「山笠」」
 僕の一番好きな祭りは「山笠」です。そして僕は、大黒流で出ています。もちろん観るよりも、「山笠」に出て走る方が好きです。
 山笠に出ていて、楽しいと思うことがあります。それは、友達といっしょに走れて、面白いことと、山がせまってくる緊張感があることです。山笠に出ていて友達と走るのが面白いのはなぜだか自分でも分からないけれど、 友達と公園でいっしょに走るような楽しみと何となく似ている気がします。山と鬼ごっこをしているような感じで、それであの緊張感がでてくるんだと思います。
 この他にも「山笠」の好きな所が二つあります。
 一つ目は、毎年山の人形が変わることです。いつも最初に「山笠」に出る時に今年はどんな人形かと思いワクワクします。それに山の人形はどんなに見ていてもあきないし、まるで生きているかのようにリアルで、はく力もあるので、山にも命があると思います。
 二つ目は、「山笠」を観ていてのことで、とてもはく力があることです。人形は山が動いていない時でもリアルだけど、やっぱり山が動いている、走っている状態が一番活き活きしていると思います。またそれをかつぐ人やおす人も その時は険しい顔で本気になっていて、その時はとても活き活きしていると思います。
 出ている方が楽しくて、好きだけれども、観ていても楽しめて、山と友達や色々な人と自分で鬼ごっこをしているような感覚を味わえたり、毎年山の人形が変わって、今年は何かと思ってワクワクしたり、山も人も走っている時が少し こわいけれど、活き活きしている。こんなにたくさん好きな所があるから、毎年一回は必ず出ているし、たくさんある祭りの中でも一番「山笠」が好きです。また、毎年一回は必ず山笠に出て、自分は山をかついだり、おしたり、台上りも しないけれども、一生懸命声を出して、走って自分も他人から見ても活き活きした姿になりたいです。


毎日新聞社賞 宮地 桃子  (舞鶴中学校2年)
「キラキラ」
 毎年、少し暑くなってくるころ、博多祇園山笠が行われる。車は通行できなくなる。人もたくさん見に来るのでバスや電車の中いろんなところがこんでいる。なぜ人々はそんな中、山笠を見に来るのだろうか。
 「山笠」は私の中では全く存在感が無い。というか忘れている。だが、山笠が行われる日が近づくと心がワクワクしてくる。テレビや新聞でたくさん報道されているからだと思うが、なぜか、私の中で存在が増してるのだ。
 私の同級生で小学校のときから山笠に参加している子がいた。練習があって学校に遅れてくることもしばしばあった。授業も、うとうとして眠そうなときもあった。周りの子はその子に、「楽しいの?」など「きつくないの?」という 質問をしていたが、彼は笑って答えたのだ。
「楽しいよ。元気になるよ。」
え、アンタ眠くなっとるやんけ・・・と私は思ったが、なぜ彼がそう答えたのか今年になって分かった。
 山笠当日、私は用事があり、一人で天神に出かけていた。しかし、山笠のせいでなかなか目的地にたどりつけずにいた。すごく困っていると、人ごみの中のちょっとしたすきまから、山笠が見えた。私の目が輝いた。いきいきとしたかけ声。 力強い足音。りりしい男の人たちの顔。小さな体で一生懸命声を出す子どもたち。同じ場所にいたのに彼らは加工された写真のようにキラキラしていた。
 山笠は、博多の名物。テレビがそうとりあげていた。最初は電線にひっかかったり男の人がふんどし一丁だとゆうことに市民から苦情があったそうだ。その後、いろいろな工夫がされ今にいたっている。なぜ人々が、バスや電車に乗りにくい中、 山笠を見にくるのか。それは、博多の伝統行事の「すごさ」と「熱さ」を目にやきつけるためだ。山笠をして元気になれるのは、きっと温かい地域の人々の応援に答えることができるからだと思う。そして私は、山笠の行事を好きになった。
 夏が始まる少し前、天神の周りがにぎやかになるとき、熱いアツーイ山笠が始まる季節だ。男女関係なく、子どもから大人まで楽しめて、元気になる行事だ。さぁ、めんどくさいなんて言わず一度山笠を見に行ってほしい。そこにはキラキラ かがやく男たちと、キラキラした目でみる私たちがいるだろう。


毎日新聞社賞 山口 明香里  (舞鶴中学校2年)
「早起きは祭りの徳」
 「こんな朝早くからどこ行くと?」小学校五年生の夏のある日に私は朝早く起こされ、完全に目が覚めてないまま母に問いかけた。
 母は「今日は山笠だから見に行くんだよ。」と答えた。私はお祭りが大好きなのだが、早く起きるのはとても苦手でこのときは全く行きたいという気持ちがなかった。しかし、家族全員が行くと言っていたので私もしぶしぶ行くことにした。
 家を出て、博多祇園山笠が行われる場所まで行く途中で私は驚く光景を見た。それは多くの人がぞろぞろと私たちと同じ方向に向かっている光景だった。「こんなに朝早くからたくさんの人が集まる山笠って生で見るとそんなにおもしろいのかな。」 とこの光景を見て私は博多祇園山笠を実際に見るのが楽しみになっていた。
 しばらく歩いた後、私たちは博多祇園山笠が行われる場所へとたどりついた。
 それから何分かして力強い大勢の男の人の掛け声がしたかと思うと、遠くから博多祇園山笠の山が続々と現れた。迫力のある一時の出来事に私は心を奪われた。きれいな山、それをかつぐ大勢の男の人のチームワーク。全て含めて一つの 芸術作品のように思えた。そして、博多祇園山笠を朝早いのにわざわざ見に来る人達の気持ちもわかったような気がした。少しの時間だったが、朝早くに起きて貴重な体験が出来てまた、博多の地に関わる祭りに触れることが出来て良かった、と私は心の底から思えた。
 思えば、博多祇園山笠に行く前の年に私は小学校で博多祇園山笠についての学習をしていた。それでも教科書を読んだり、ノートを書いたりしてもさすがに博多祇園山笠ならではの迫力だとか実際の山の美しさは分からなかったのである。
 私がそれらのことから一番学んだのは体験することが何よりも大切であるということだ。
 そして博多祇園山笠だけのことで言うと、屋台が並んでいて花火を見るという夏の祭りも楽しいが、迫力があり、博多の良さが見ているだけでよく分かるような珍しい祭りも面白いと言う新たな発見も出来た。
 それから私は博多祇園山笠に興味を持ち、テレビで見たりするようになった。毎年変わらない迫力と大きく変わる山を博多の町に毎年届けてくれる博多祇園山笠は本当に素晴らしいと思う。これからも博多特有の祭りに参加して博多の町を もっと好きになっていけたらいいと思う。


毎日新聞社賞 堀  聖太 (舞鶴中学校2年)
「放生会の達人とその息子」
 僕の放生会デビューは幼稚園に入園する前二歳ぐらいだったと両親から聞いていたがもちろん記憶にない。それから、毎年、父の影響もあって放生会には行っていたがここ三年間ぐらいは小学校から始めた野球が忙しくて行っていない。
 この作文を書いている途中で父が僕の部屋に入って来て作文の内容を知ると僕が聞いてもいないのに父とおじいちゃんの思い出を話し始めた。父は、自称「博多の祭の達人」で、放生会、博多祇園山笠をはじめ、博多の祭で知らないことはないと本人は言っている。 父の放生会の思い出は、毎年百円札を一枚にぎりしめて夜中の十二時過ぎまで遊びまくり、家に帰るとおばあちゃんから死ぬほどげんこつの嵐をもらい翌日にはたんこぶの山がたくさんできていたそうだ。ちなみに父の得意種目は金魚すくいで一枚のポイで三十匹以上は すくい取っていたため店のおっちゃんからは特に要注意人物に指定されたそうだ。
 父の子供の頃の話しが終ったと思うと次に父はおじいちゃんの話しを始めた。おじいちゃんは父に輪をかけた「祭の達人」だったそうで、父が幼稚園(年中)の時、おじいちゃんはいつもの様に父を連れて放生会に行ったのだが酒をたくさん飲み、得意の 金魚すくいと鰻つり、弓矢に熱中して父と一緒に来たことを忘れてそのまま一人で家に帰ってしまいおばあちゃんから目が飛び出るくらいに怒られたそうだ。おじいちゃんは父が十九歳の時になくなったそうでもちろん僕は、おじいちゃんのことは一切知らないのだが このエピソードを聞くとおじいちゃんがどんな人だったのかということが少し想像できる。
 本来、放生会とは捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式であるはずだ。しかし、出店には金魚すくい、鰻つり、ザリガニつりなどどう考えても生き物の殺生を戒めるものとは考えられない。この考えを父に話してみると父は、「お前は、放生会に 限らず祭り本来の意味が解っていない。祭りとは、自分自身が参加し楽しむものでそれ以上でもそれ以下でもない。例えば、金魚すくいにしてもへたくそでポイを使うと金魚に傷をつけてしまい金魚も痛い思いをするが、お父さんみたいな達人がやると金魚には 一切傷もつけないし金魚自身も喜んでいるはずだ。」そう言って父は僕の部屋を出て行った。他人には納得できない説明だと思うが。僕は父らしい言葉だと思った。
 将来、僕も結婚し子供ができたら、必ず子供と一緒に放生会に行ってみたい。その時はまず放生会の意味をきちんと説明してそれから思う存分何も考えず遊びまくりたいのだ。しかし、「子供と一緒に来たこと。」は決して忘れてはいけない。僕もおもしろい おじいちゃんのDNAを受け継いでいるからだ。


毎日新聞社賞 山出 彩花 (香椎第三中学校3年)
「祭り」
 私は祭りが大好きです。小さい頃からよく家族で祭りに行ってました。小学校の頃は、友達とワイワイしながら行ってました。
 私は祭りの、あの独特な雰囲気が大好きです。みんなを笑顔にさせてくれる、独特なおいしそうな臭いも大好きです。祭りは、来た人だけでなく、物を売って商売してる人でもずっと笑顔です。 小学校六年生になっても、一度だけでも家族と一緒に行くことは家族の中の、お決まり事みたいな感じでした。私の家族は、三人家族で、母、兄、私、の三人でした。いつも通りに行くと、お母さんから千円もらい、 ゲームやくじびきなどを、楽しんでいました。お母さんは遠くで座って、そんな私たちを笑顔で見ていました。お金もなくなり、何もすることがないので、母のところに戻りました。母は、やきとりと、お好み焼きを私たちのために 買ってきててくれました。三人で食べるのはとても楽しくて、ずーっとそこで話してました。
 お母さんは、女手一つで育ててくれたので、さびしい思いをさせないように、二人分の愛情を注いでくれました。なので私は一度も、
“お父さんがほしい”
なんて口にしたこともないし、思ったこともありません。お母さんは、二人のための学費や洋服代、食費のために朝から晩まで働いていました。それでも、どんなにキツくても、私たちのことも相手してくれて、 お母さんの手を抜いたご飯なんて一度も見たことがありません、私たち兄弟も、お母さんの家での負担を軽くさせるために、二人で家事の分担をしました。
 私が祭りが大好きな理由は、もう一つあります。お母さんと、祭りにきた時は、とても安心したような、落ちついたような、本当に楽しんでいるような笑顔になるからです。私は、お母さんの笑顔が大好きです。祭りは、 私のお母さんに本当の笑顔をあたえてくれるので大好きです。これからも、家族みんなで祭りに行って、たくさん笑顔を見たいと思います。


毎日新聞社賞 板谷 晃良 (香椎第三中学校3年)
「祭のエネルギー」
 夏休みといったらお祭りだと思う。暑くて外にも出たくなくなる夏でも、お祭りのときは早く外に出たくてたまらなくなる。そんなお祭りが大好きだ。お祭りのいいところはとてもたくさんある。その中でもすごくいいと思うものは三つある。
 一つ目は、人を元気にすることができるところだ。だらだらしていた僕を元気にしてくれたのもお祭りのおかげだ。
 二つ目は、たくさんの人と仲良くなれるところだ。知らない人でもお祭りで盛り上がっているうちに仲良くなれたことがある。これもお祭りのおかげだ。
 三つ目は、みんなを楽しませてくれるところだ。お祭りにこれがないと盛り上がらなくなる。だから、これが一番お祭りに欠かせないものだと思う。このように考えてみて初めてお祭りのすごさを知ることができた。
 そんな楽しいお祭りができているのは地域の人たちのおかげだと思う。お祭りの準備から片づけまですべて地域の人たちが協力してやっている。それに対して僕たちは、お祭りが終ったらすぐに帰っている。そんなことでは 地域の人たちに悪いと思い、お祭りの手伝いをすることにした。
 お祭りがある会場に朝の九時に集合した。周りは知らない人ばかりだった。まだ準備をする人しかいない会場を見るのは初めてだった。打ち合わせの人たちの声しかしない会場はお祭りがあるところとは思えないくらいだった。準備が 終るころにはたくさんの人が集まっていた。一時間という長い準備時間があっという間に終わり、お祭りが始まった。僕はフランクフルトの販売をすることになった。早速友達が買いに来てくれた。それが初めて売れた瞬間だった。そんな売れた 瞬間はとてもうれしかった。それからもたくさんの人が買いに来てくれた。なぜか販売しているだけでもすごく楽しかった。そんなことを考えている間にもう片付けの時間になっていた。そして、今日のことを振り返りながら 片づけを終えた。最後に今日お世話になった地域の方にお礼を言った。地域の方は「こちらこそありがとう。」といって頭を下げた。
 家に帰って今日のことをいろいろと思い出していた。するとあることに気がついた。お祭りが終わって片づけをしているとき、遊びに来た人たちは帰っていったのに少しもいやな気持ちにならなかった。僕は片づけを手伝って もらえないのは困ることだと思っていた。しかし、そうではない気がした。準備をするときは、みんながお祭りをきっと楽しんでくれるだろうという「期待」からエネルギーをもらってがんばれる。片づけをするときは、みんなが楽しんで くれたという「うれしさ」からエネルギーをもらってがんばれる。こんな気持ちをもっとたくさんの人に知ってもらいたい。


NTTドコモ賞 小関 佑弥 (博多中学校1年)
「博多祇園山笠」
 七月の博多は毎年熱気に包まれます。そう博多祇園山笠です。
 六月、各流で山笠の準備が始まります。ぼくは初めて山笠の集まりや、勉強会に参加しました。勉強会では、水当番や交通、台上がりなどのやり方と注意を受けました。今年は当番町で大人もみんな気合いが入ってました。
 七月一日。当番町お汐井取りです。子供も大きな声を出してお汐を取って帰りました。
 七月十日早朝、朝山です。去年まで子供で起きるのが遅くても良かったけど、若者入りしたので、大人と同じ時間に起きないといけなくてずっとねむかったです。それでも、水当番はしっかりやりました。大人の方からアドバイスをもらったので勉強になりました。
 七月十二日、追い山ならしがありました。この日は飲める水を運ぶ水担い(みずにない)という役割を受けました。走りすぎると水がこぼれるし、遅く歩くと山笠に追いつかれるので、スピードの加減が難しかったです。
 七月十三日、集団山見せ。この日も水担いを担当しました。天神の方まで行って帰ってきました。夜、これまでの疲れが出たのか、宿題がぜんぜん終わりませんでした。
 七月十四日、男達は明日に向けていっそう気合いが入ってました。スピードもいつもよりもっと速くあっという間に流昇きが終わりました。 七月十五日、ついにこの日がやってきました。ぼくは山どめまで台上がりを しました。大きな声でせいいっぱいしました。台上がりが終わってからは櫛田入りの時間を待つだけです。大雨の中ついに櫛田入りが始まりました。すごいスピードで清道を回り櫛田神社をかけぬけました。それから廻り止めまで行き、やっと今年の山笠は終わりました。
 詰所にもどってからはみんな
「よか山やった。」
と、かんきわまって泣いていました。でもぼくも泣くぐらいよか山やったなぁと思いました。
   今年は初めて若手に入って貴重な体験をたくさんさせていただきました。ほんとうに今年の山はよか山でした。


NTTドコモ賞 西原 雅貴 (西陵中学校1年)
「城原盆踊り」
 「サァサァ出なされ、踊り子さんよ〜」の口説きで始まる。
 盆踊り
 提灯で飾った盆台の上には太鼓、口説きを歌う方、その下には、笛や三味線、その回りにはたくさんの踊り子さん、またその回りには、この祭りを楽しみにしている地域の方がたくさん集まり盛り上がる。僕は、この祭りで太鼓を 小学校一年生から練習し二年生から盆台に上がり、打っています。
 僕の中では、この太鼓が一年の中での一大イベントになっている位です。
 毎年お盆の八月十四、十五日は、盆踊り。踊りの後十五日は、盆綱が行われていたが、何年か前から若手の協力者が足りないため地域の年長者は保存会として行っていたが、去年から、盆綱がなくなってしまった。
 昔は青年団が中心になり、わらをもらう手配から行っていました。わらを、三つ編にし、大きさ20−30センチ長さは120メートルの綱を作っていました。その時は、炊き出しをしたり大がかりな地域の皆さんの協力がなければできない地域での取り組みでした。
 そして十五日は、ねじりはちまき、締め込み姿、腹にはさらしを巻き、地下たび片手には提灯を持って、まず丸山観音に皆の安全を祈願し参拝をし、いよいよ盆押し。
 青年が二人で肩を組み輪を大きくしていき、「オイサ、オイサ」の掛け声も勇ましく、押し合いながら男同士のぶつかり合いという感じで路地を練り歩く。あちらこちらから「勢い水」が飛びとても活気があり、わくわく、ドキドキ、勇そうな祭りと言う感じで熱くなる。
 綱引き
 上の方が極楽、下のほうが地獄として、引き合い、地獄に落ちた先祖の霊を引き上げ極楽へと導く儀式である。この綱引きがなくなってしまったことは、先祖の霊をなぐさめる事ができなくなってしまった。これは、失くしてはならないと 思います。僕がもう少し成長したら、青年団を作り、昔みたいに、この祭りの本当の意味を、僕の子供達にも伝えて行かなければならないと思います。


NTTドコモ賞 三浦 美香 (香椎第三中学校3年)
「絆」
 八月七日、この日も散々だった塾からいつも通るなじみのある道を使って帰っているとあちらこちらから浴衣姿の人が近くの神社に向かっていてそこからは、子供から大人そしてお年寄りの人のたくさんの笑い声が聞こえて きました。「今日は夏祭りだ」私は、すぐ夏祭りのあっている神社に向かいました。始まって間もないというのに、浴衣やじんべいを着た人が、焼そば、かき氷などの屋台に大勢集まっていて大変盛り上がっていました。特に私の 中学校の吹奏楽部による演奏や、祭り桓列のラムネの早飲み競争など行われるステージが一番人がいて大人気でした。その中で私は、ダンスを楽しみにしていました。それは友達が踊るからです。いよいよ始まって夢中になって見 ていると、私の隣に、スーツ姿でいかにも仕事帰りの女の人がいきなりきて「はーはー」息を切らしていました。誰だろう?と思って顔をのぞくとそれは、今踊っている友達のお母さんでした。「今踊っていますよ。」と私が言うと、 「良かった間に合った。」とほっとした様子で言い、子供の姿を笑顔で見ていました。そんなお母さんを見ていると私も間に合って良かったと思いました。その後屋台を見たり、友達としゃべったりして過ごしていると、踊っていた 友達とお母さんが2人で笑いながら幸せそうに歩いていてまた、私も幸せな気持ちになりました。
 この祭りを通して私は、祭りという行事に新しい発見ができました。それは、「親子の絆」です。親は、自分の子供のために仕事をしているのに更に自分の子供のためにステージを見にきて、子は親のために踊り、このようにお互いを 思い合う事が「絆」と考えたからです。私も、親になったら「親子の絆」がきずけるといいなと思いました。


NTTドコモ九州賞 松永 沙紀 (下山門中学校3年)
「「博多どんたく」の思い出」
 私は去年、友達と一緒に「博多どんたく」に参加した。私の祖母が日舞の先生をしているので、祖母に踊りを教えてもらい、私を含めた三人で参加した。一緒に参加した二人は小学校からの親友で、何でも相談できる大事な友達だ。
 そして、どんたくに向けての練習が始まった。本番まで5回ほどしか練習ができない、ギリギリのスケジュールだ。他の祖母のお弟子さんたちは、さすがに慣れているのかあっという間に踊れるようになる。だが初心者の私達は なかなか踊りを覚えることができなかった。そこで私達は顔をあわせる度に振りの確認をし、踊る曲も録音して覚えることにした。そしてその努力が報われたのか、なんとか本番に間に合わせることができた。
 そしてついに本番。市内の何か所かの舞台をまわることになっていた。最初の舞台は姪浜駅の特設ステージ。見知った顔もあること場所に到着した時、私の緊張はピークだった。
「人、人、人・・・。」
手の平に人の文字を三回書いて飲み込むと、緊張しなくなるというおまじないをしてみた。が、心臓は更に大きく脈打つばかり。だけど私の目に二人の親友の姿が映った。優しいけど結構頑固で、いつも私を助けてくれる、この二人と一緒なら大丈夫だな、と心から思った。
 そして私達の出番がきた。私の緊張は、もうどこかへ吹き飛んでいた。スタンバイの時の二人とのやり取りとか、踊っている時にお客さんと目が合ったとか、小さなこともとても楽しく感じた。「ああ、お祭りっていいな」と再確認したし、友情も再確認した瞬間だった。


NTTドコモ九州賞 酒本 七生 (博多中学校3年)
「父は「蝉」なのです。」
 父のテンションは、七月一日から七月十五日の間、マックスだ。
 いつもはゴロゴロして死んだ魚のような目で世の中を見ている父だが、この期間つまり山笠の間だけは「漢(おとこ)」になる。
 いつもは一番遅くまで布団の中、起きれば家族に欠伸まじりの気のない朝の挨拶をして、御飯を食べて、また布団の中、といった感じなのだが、山笠期間中は違う。一番早くに起きて山の詰め所に向かい、夜もかなり遅くまで 山の仕事をして帰ってくる。そして、いくら疲れていても、また朝一番に出かけて行く。
 私は小学校五年生の時から、ごりょんさんとして働いている。それは、やりがいがあって楽しい反面、悲しくもある。
 詰め所から出発していく小さい子ども達や大人達の姿を見れば、「私も男の子に生まれていればなぁ」というやるせない気持ちになってしまう。
 父の頭につけている赤白の手拭、白と黄色の襷、それは「前さばき」、というとても栄誉ある証拠品。私も男の子だったら絶対にほしいと思っている。
 父はもともと、博多区には住んでいたものの、中心地とは遠い所で生まれ、山笠に出た事は一度もなかった。けれど、母と結婚してからは、母の両親や兄弟、親戚の人が出ているため、でるようになった。それから、父は山笠にドップリはまってしまったのだ。
 父は真面目な性格で、人に言われたことは熱心に取り組み、責任を持ってする人だ。だから山の人とはすぐに仲良くなり、昇進も早かった。私が幼い時もうすでに前さばきの地位についていた。
 本人は「外面が良い」と簡単な言葉で片付けているものの私から見れば二重人格ではないかと疑うほどだ。
 ある時、母にその事について話した事がある。すると母は、
「あれは蝉よ、蝉、山笠以外の時は生きていけないの。父さんだけじゃなくて、皆そうよ。」と言っていた。意味が分かるようで分からなかった。第一、自分の夫を蝉呼ばわりする母はいかほどの者なのかと・・・。
 七月十五日、山が終った。帰ってきた父は、いつもは猫背の背中をピシャッとたてて、「ありがとうございました。」と家族に挨拶した。そして、「疲れた」と言って、ぐっすり眠っていた。
 それから、目を覚ました父に、「おはよう」と言うと、気のない返事をされた。それは父だけではなく、おじさんやおじいちゃん、皆だった。蝉はもう眠りについてしまったようだ。来年のため、蝉は今日もまた眠っている。


RKB毎日放送賞 大和 司 (千代小学校5年)
「人をこえる人」
 山笠は、ぼくの知っている中で一番の祭だ。
 とくに、この話を聞いてからは、すっごくすきになった。
 平成十四年、ぼくのお父さんが、隊長だったときは、追い山ならし、くし田入りは一位、4キロコース一位。
 追い山、くし田入りは一位、全コース一位。
 そして、みんなたちのリーダーてきそんざいだ。
 でも、そのお父さんがすごいと言う人がいる。
 西川さんだ。西川さんは、平成二十二年の隊長。西川さんのどこがすごいか聞いてみた。
 そしたらこう答えた。
 「お汐井とりで、みんなが楽しめるようにとスピードをけっこうおとしたでしょ。そうすると3才ぐらいの子も走れるよ。お父さんが隊長の時そんなことができなかったなぁ。」と言っていました。
 こんなぼくのゆめは隊長になってみんなをたのしませることです。


RKB毎日放送賞 原 夏仁 (博多小学校5年)
「子供山清道まわり」
 ついに明日子ども山清道まわりだ。自分が山をかつぎ清道をまわるなんて夢にも思わなかった。家族から「がんばれよ」と言われたからよけいきんちょうした。そしてその日の夜いろいろなことが頭を よぎった。「失速したらどうしよう。」「いいタイムがだせなかったらどうしよう。」と。だがもうやるしかないのでその日はまよわずねた。
 よく日、清道本番一回目でリズムがくずれいいタイムがだせなかった。一しゅん頭の中が真っ白になった。だがまだ次があるということを思いだしいいタイムがでるようにと心の中で願った。するといい タイムがでたのでみんなと喜びあった。そして三回目あいているところがあったので一生けんめいに入った。
そして三回目二十五秒という最高のタイムがだせたからなみだがでるくらい自分は感動した。
 その夜お父さんがにやにやしながらぼくの顔をみるからなにかついているのと思い聞いてみるとなんでもないというから何かあったのかと思った。そして夕食ぼくは感動した。サラダにかけてある マヨネーズに「がんばったね。」とかいてあったからぼくはおもわず笑い泣きをした。よく一日目をふり返ってみるとみんな三回目ほど顔がきりっとしていなかった。一番大切なのは、山は一人でかついで いるんじゃない。台上りや鼻どり表そして見おくりや、後おし、おうえんしているこの人たちの心が一つにならないと山は動かない。そしてこの人たちが応えんしてくれたことで山をかこうという気持ちが山を かいている人を元気にしたり、勇気をあたえたりしてくれた。この人たちにたった一言だけ伝えたい。
「みんなありがとう。」


RKB毎日放送賞 城戸 美穂 (博多小学校5年)
「わたしと山笠」
 七月の七日間、わたしは、大好きな山笠に出ました。
「オイサッ、オイサッ。」
と大きな声を出しながら博多の町を走りました。
 山笠には、お父さんと妹とわたしの三人で出ています。お姉ちゃんとお母さんは、ごりょんさんとして出ています。
 でも、お父さんとはなかなか会えません。理由は、大人の人には仕事があるからです。
 子ども係、町総代、取りしまり、えいせい、赤手のごいと一般参加です。
 わたしのお父さんは、町総代をしています。
 お父さんに会えないのは残念ですが、決してさみしくはありません。友だちや子ども係の人がいっしょに走ってはげましてくれたり、元気づけてくれるからです。でもいっしょに走れない お父さんは、「そんなに大変なのかな。」どんなことをしているのか、わたしには全く分かりません。そこで、お父さんにどんな役わりなのかどのように大変なのか聞いてみることにしました。するとこういうふうに教えてくれました。
「町内の代表で、すごく大変な役わりだよ。」
お父さんはすごいなと思いました。山笠で走っている時のお父さんの姿や顔はみえないけれど、きっと走っている時は真剣でかっこいいだろうなと思います。
 わたし達が山笠から帰ってくると直らいというのがあります。直らいでは、大人の女の人たちが作ってくれた手料理がたくさん並びます。ジュースやお茶、いろいろな飲みものを飲んだり食べたりしゃべったりして とても楽しいです。わたしは、こんな山笠が大好きです。わたしは来年六年生までしか山笠に出ることが出来ません。けれど最後の一年は、思いっきり楽しんで終りたいと思っています。
 お父さんと走れなくなったら、ごりょんさんとしてお母さんや自分の町内の人達といっしょに、直らいに出す料理をたくさん作って山笠で走ってつかれたお父さんやみんなが笑顔いっぱいで食べてくれるような料理を つくりたいです。それまでお父さんといっしょに一生けん命、走ります。


RKB毎日放送賞 國益 千緒吏 (博多小学校6年)
「二年目の稚児舞」
 私は、5年と6年の春稚児舞をしました。稚児舞とは、西流と東流が2年交代でする舞の事です。舞姫といって3年生〜6年生の女の子が舞を踊って囃子方がうしろで小づつみや笛、たいこ、大づつみなどを します。1年目の時はきんちょうしたけど今年は2年目だったのでとても楽しくできました。ふつうは、舞姫一人と囃子方4人でやりますがくしだ神社や護国神社では舞姫5人囃子方16人でやります。5人の時はまわりの 人にうごきをあわせないといけないのでとてもきんちょうしました。
 いろんな所で舞っていると地面がコンクリートや石、点字ブロックの上などいろいろな場所でおどりました。でも練習どおりにきちんとおどる事ができました。
 そして去年はのれなかった引台にものることができました。くしだ神社のカレンダーにのったり、テレビや新聞に出たりしました。
 稚児舞2年目の今年は、3月から練習が始まりました。去年やったのでやりはじめたら、だんだん思い出してきました。でも今年は、緩急をつけて去年とはちがう稚児舞をしないといけないので少しむずかしく なりました。だんだん本番が近づくにつれて見にくる人もふえ合同練習も始まってとてもきんちょうしました。そして最初の本番は博多小のどんたく集会でした。全校生徒と先生方が見ています。「でだしはまちがえ ないかな?」「みんなとうごきがそろっているかな?」とか思いながら舞が始まりました。ドキドキしながらおどっているとあっというまにおわりました。大勢の人からはくしゅをもらいとってもうれしかったです。そして 5月2〜4日あっという間におわりました。
 そしてこの稚児舞で3つの事を学びました。1つ目は、いろいろな人からささえられているという事です。いつも練習を見守ってくださる地域の方。舞を教えてくれる先生。衣しょうをきせてくれる おかあさん、などいろいろな方のささえがあります。
 2つ目は、きつくてもつかれてもがまんする力。
 せいざがきつくても、あつくても、それは自分だけじゃない。という事。
 3つ目は、どりょくはみのる。自分ががんばった分だけいい舞ができる。その事をこれからもいかしていきたいとおもいます。


RKB毎日放送賞 神代 新 (博多小学校6年)
「子供山笠 ありがとう」
「一、 二のヤー。」
ようやく子供山笠が始まった。
「オイサッ。オイサッ。」
かっきのあふれる博多の町がもどってきた。しめこみをした、子供や大人が山笠と同時に走り出した。水がドンドンかけられていく。
「バシャー。ドシャー。」
水をかかりながらも、子供山笠は、走っていく。こうして、初日は終わった。
「二日目も、一生懸命がんばろう。」
と心に決めた。今日も、
「オイサッ。オイサッ。」
といって、山笠は走る。いよいよ櫛田入りだ。櫛田神社についた。
「あー。成功するかいな。いや、成功させよう。」
心の中でちかった。僕の心臓は、バクバク、ドキドキいっている。
「二分前。」
一回目がまじかにせまってきた。
「気合入れていくぞー。」
「オー。」
すごい気合いだ。
「一、 二のヤー。」
始まったとともに、
「オイサッ。オイサッ。」
すごい声が鳴りひびく。だが、山笠は、止まった。
「ニの、ヤー。」
何回やっても、山笠は動かなかった。
「記録は何分かいな。」
と思った。
「記録は発表できません。はずかしすぎます。」
と言われた。それもそうだ。ぜんぜん動かなくて、たぶん二分は、かかっていた。
「気合い入れ直して、いくぞー。」
といった。
「うわぁー。次は、おれやん。絶対止めんで、あきらめんどこう。」
ぼくは、心の中にちかった。
「三分前。」
かき縄をぼうに巻きつけた。そしてねじってとれないようにした。
「一、 二のヤー。」
はじまった。
「オイサッ。オイサッ。」
どんどん走っていく。終わった。そしてタイムが発表される。
「結果は、四十二秒。」
いっきに客席がわきあがった。
そしてついに三日目に入った。
「代表の言葉、だいじょうぶかいなー。」
と思っていた。最終日でみんな気合いが入っていた。
「今日は、櫛田入りタイム、いいのが出てほしいなー。」
と思いながら、山笠は始まった。
「一、 二のヤー。」
いつもより、応援が多かった。いつもは、けっこう山が止まったけど、今日は、止まりそうになっても、止まらなかった。櫛田神社についた。
「気持を高めよう。」
と思った。そして、一回目も二回目も終わってやっと三回目になった。みんなが、緊張している中で始まった。 
「一、 二のヤー。」
ものすごい速かった。タイムが発表された。
「いまのタイム。二十五秒。」
みんないっきに、はしゃいだ。その中には、泣いている人もいた。ぼくは、すごく嬉しかった。そして先生は、
「よくがんばった。でも今からもちゃんとがんばろう。」
といった。そして学校の前まできた。みんな山笠をかきたい気持ちでいっぱいだった。
「一、 二のヤー。」
勢いよく学校に入った。曲がるとき、もう止まるかと思ったけど、止まらなかった。
そして、閉会式になった。先生が、
「お礼の言葉。」
といった。ぼくの出番だ。
「この三日間ありがとうございました。ぼくたちの力だけでは、この山笠は、動きませんでした。PTAやごりょんさん、河原さんなどが、支えてくれたので、動きました。この子供山笠で、学んだことをこれからの生活にいかしていきたいです。」
もうくいは、ありません。子供山笠に言いたいです。
「子供山笠 ありがとう。」


NPO博多の風賞 和田 昌也 (博多小学校1年)
「ながれかんじょう」
 ぼくは、ながれかんじょうというまつりがだいすきです。ずっとまえからたのしみにしていました。ゆうがたになったら、おにいちゃんとつっぱしっていきました。とうもろこしをたべながら、おにいちゃんたちがしている しゃてきをみていました。ぼくもやってみたらうまくあたらなくて、ざんねんでした。
 とちゅうでおかあさんたちもきました。それでかきごおりとわたがしをたべました。さいごにきんぎょすくいをしました。
 うまくすくえませんでした。
 でもけんたろうおにいちゃんとたけるおにいちゃんがいっぱいとってくれました。いえにもってかえってすいそうにいれました。スイスイおよいでいてうれしいです。


NPO博多の風賞 大村 結子 (博多小学校1年)
「はじめてのどんたく・山かさ」
 わたしは、はかた小学校の一年生。ことしはじめて、どんたくと山かさにさんかした。小学校のおともだちは、赤ちゃんのときからさんかしている子もおおい。けれど、わたしは、はじめてさんかした。
 わたしのパパとママは、ふくおかしで生まれそだったけれど、はかたちくではないので、どんたくも山かさもさんかしたことがない。でも、パパとママは、
 「せっかく、ふくおかに生まれたんだから、ぜんこくてきにゆう名な、どんたくや山かさにさんかさせたい。」
と、はかた小学校の校くにひっこしてきた。
 どんたくも山かさも、はかた小学校からさんかしたので、おともだちも先生もいっしょで、わたしは、とてもたのしかった。パパとママは、
「どんたくも山かさも、ずいぶんまえからじゅんびして、たいへんなんだね。でんとうをまもり、うけついでいくって、たいへんなことだね。子どもたちも先生もちいきの人たちも、すごいね。」
と、いっている。
 わたしには、よくわからないけれど、しゃもじをもっておどるのも、いわいうたをうたうのも、手一本をするのも、とてもたのしい。どんたくと山かさが、いつまでもつづけばいいなぁとおもう。


NPO博多の風賞 馬場 鈴華 (博多小学校4年)
「山笠」
 わたしは、学校行事である子供山笠に今年は参加していません。毎年参加しているので今年も参加したかったのですが、今年から四年生以上の女の子は参加出来なくなったからです。
 その後にある博多祇園山笠には全部参加しました。
 おしおいとりは、恵比寿橋から筥崎宮まで一番山から七番山まできれいに列になり「おっしょい」とかけ声をかけながら走ります。今度は筥崎宮から恵比寿橋まで戻り、わたしが出ている町内では子供はここまでで おしおいとりは終わりです。その後大人は恵比寿橋からくし田神社まで行き、戻って来たらおしおいとりが終わりです。
 走るきょりも時間もすごく長いです。
 他には、流れがき、朝山、追い山ならし、集団山見せ、最終日が追い山です。
 追い山は、八つの山がくし田神社の清道入りのタイムをきそい合っています。清道入りで一番山だけが祝いめでたを歌う事が出来ます。一番の見どころは、追い山ならし、追い山でしか見る事が出来ない八番山笠(かざり山)が清道入りする事です。
 わたしは、女の子なのでずっとは山笠に参加する事は出来ません。お祭りの中でも一番大好きな山笠なので、この時期になると男子がうらやましく思います。


NPO博多の風賞 平井 優花 (博多小学校4年)
「大すきどんたく」
 「いよいよスタート」
私の心の中は、「きんちょう」と「どきどき」の気もちでいっぱいだった。
 5月3日、当日が、いよいよきた。私は前の日もきんちょうしすぎてあまりねむれなかったほどどきどきしていた。まずさいしょに学校にあつまりそれから、「がんばろう。」といいあい、 それからコースべつにわかれていく。私は、少しとおくはなれたところにいくコースだった。そして、車のなかでもきんちょうして、頭の中で、「ちゃんとまちがえずにおどれるかな。」とか、 「もし、しっぱいしてほかの人にめいわくをかけたりしないかな。」などやっぱり、じしんがありませんでした。
 まだ心にきんちょうがつまるなか、やっと一ヶ所目につきました。ほかのタームもきているなかに、まっているあいだ、他のチームのダンスなどをみて、「わぁ、すごいな。」とおもいながら、 いよいよ私たちのばんがきて、まわりには、他のチームの人や、私たちのおどりを、みてくださる人たちなどで、いっぱい、いっぱいだった。そして、私が、そのまわりの人たちを、みていたとき、 ぱっと曲がなりだしました。私は、あわてて曲にあわせながらおどりだしました。その時私は、心の中で、「しゅうちゅう」を心にいいきかせながら、3つのおどりをなんとか、まちがえずにおどれて、なんだかほっとしました。
 そのあと、何ヵ所か回って、学校に帰りました。
 そして、きゅうけいがおわって、ごごのパレードにむかう時、一番さいしょにおどった時より心の中が「どきどき」していました。
 太陽がふりそそぐ、あつい中ながいパレードが始まりました。その中おどっていると、2年生の時のたんにんの先生、いとこ、おばあちゃん、などきてくれていました。そのしゅんかん私の心は、 なによりもうれしくてたまりませんでした。そのご、パレードが終り学校に帰って、おせわになった人たちにお礼をしてかいさんしました。いえにかえると中私の心の中は、「どんたくまたでたいな、どんたく大好き」の気もちで、いっぱいでした。


NPO博多の風賞 二神 彰太 (長丘小学校6年)
「山笠」
◎山笠や   お勢い水で   汗流す

◎山笠や   博多の心    動かすぞ

◎皆ひとつ  山の動きで    心見る

◎山笠や   オイッサーの声で 山動く

◎もう若手  自分の体     守り抜く

◎一人前  早く巻きたい   赤手拭

◎山笠や  胡瓜食べたら   けがするぞ








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