募集要項




楽文事業運営部会 世話人 中村巨樹



第13回楽文コンテスト優秀作品



池田 海都 河野 未夢 生野 凱翔 小森 ななみ 帆足 香凜
長丘小学校4年 香椎第三中学校2年 赤間小学校1年 三筑中学校1年 照葉小学校6年
内田 菜々 廣津 優利菜 梶原 華乃 後藤 早紀 井上 創太
東若久小学校4年 香椎第三中学校2年 博多小学校1年 三筑中学校1年 松崎中学校1年
庄島 琉聖 田中 航平 赤塚 紗羽 西野 愛子 杉山 萌愛子
和白東小学校4年 千代中学校3年生 赤坂小学校2年 原北中学校1年 香椎第三中学校1年
竹本 俊一郎 辻 杏奈 倉光 杏奈 松延 百花 竹野 百香
照葉小学校5年 箱崎清松中学校3年生 野多目小学校3年 原北中学校1年 香椎第三中学校1年
三浦 久美香 横山 満理奈 村崎 凪 竹下 純太郎 平嶋 遙花
七隈小学校5年 箱崎清松中学校3年 大原小学校3年 舞鶴中学校2年 香椎第三中学校1年
     







博多祗園山笠振興会賞 池田 海都 (長丘小学校4年)
「ぼくが大好きなこと」


ぼくが大好きなことは、小さい子たちのお世話をすることです。今、夏休みで、お母さんが、昼間はたらいていていないので、ぼくは毎日子どもクラブに行っています。
そこはようち園の中なので、2さいから小学校4年生までの子どもがいます。
そこでぼくは、2さい3さいの子のお世話をしています。  
どんなお世話をするかというと、本を読んであげたり、お昼ねの時にねかしつけをしたりしています。ぼくが横にすわってトントンしてあげると、すぐねる子もいるけど、ふざけてなかなかねない子もいます。その時は、「しずかにして。」と言いながらトントンしてあげると、いつのまにかねむってしまいます。ねかしつけはちょっとたいへんだけど、ねがおがかわいいです。  
後、先生におこられたりしてぼくの後にかくれてくるのがかわいいです。小さい子は、ぼくのふとももぐらいの身長しかありません。たまにぼくのふとももにだきついて来ます。  
この前ひさしぶりに会ったら、ニコっとわらってぼくのほうに来てくれたのでうれしかったです。ぼくも毎日子どもクラブに行くのが楽しみです。  
後、ぼくのいとこの中に2さいの女の子がいます。この前おじいちゃんおばあちゃんやその子の家族とみんなでホテルに行きました。その子はまだあんまりしゃべれないけど、ぼくのしゃべることをまねします。ホテルのへやではかくれんぼをして遊んであげたり、つかれたら「だっこだっこ。」と言ってくるのでだっこしてあげました。だっこするととてもよろこんで何回も「だっこだっこ。」と言われて、最後はちょっとつかれました。  
でもぼくの後をついてまわるのでとてもかわいいです。  
ぼくは大きくなったら、小さな子たちのお世話をするほいくしになりたいです。


博多祗園山笠振興会賞 内田 菜々 (東若久小学校4年)
「大好きな読書」

わたしが、大好きなことは、読書です。  
特に、ぼうけんする、「マジックツリーハウス」のシリーズのような本が好きです。本だと、いっしょにぼうけんしているような気持に、なれるからです。こわい話も好きです。  
本のいいところは3つあります。
一つ目は、主人公になりきれることです。テレビやまんがだと、人や絵が頭に入っているからそうぞうできません。本だと絵も少ないから、自分で、場所や主人公が思ったことなどそうぞうして、ぼうけんしたり、まじょになったり、自由に頭の中で考えられるところがいいです。また声をそうぞうしたりもできます。れきしの本でも、自分がすごいことをなしとげたような気持ちになれます。また、本なら文のとちゅうに新しい人物を入れ、せりふを入れたり、かつやくしたりできます。
二つ目は、読む力や、ちしきがみにつくことです。本を読んでいると、知らない言葉が出てくることがあります。そんなとき、調べたり聞いたりすると、一つ新しい言葉が分かります。また、たくさん本を読んでいると、すらすら読めるようになり、書いたり、音読するときも、じょうずにできます。
三つ目は、いろんな目的でみんな、本を読んでいることです。こわい話やおもしろい話など、いろいろな種類があります。 例えば、こわい話の本とおもしろい話の本は、内容は正反対だけど、ページ数が同じくらいのものもある。このようにページ数は、同じくらいだけど、ちがう目的で読んでいる人もいるし、その反対の、本の内容は、いっしょでも、本かく的なくわしい本を読んでいる人やちょっとしりたくて、本を読んでいる人、みんな、べつの目的、いろんな目的で読んでいる。そこが、本のたくさんあるいいところでも一番いいところじゃないかなと思います。
このように、本にはたくさんいいところがあります。でもなぜ、みんな本を読むのでしょうか。これは、わたしが考えたことですが、やっぱり、読むのが楽しいからではないでしょうか。 わたしは、本を読むと、すっきりして気合いが入ります。そして本は、きょうかしょ、せつめいしょ、しんぶん、いろんなところでできます。 みなさんも、いろいろな本を読むと、楽しい気持ちになれると思います。


博多祗園山笠振興会賞 庄島 琉聖  (和白東小学校4年)
「僕のおばあちゃん」

 僕には、二人のおばあちゃんがいます。
僕のおかあさんのおかあさんと、僕のおとうさんのおかあさんです。
二人とも大好きな、おばあちゃんです。
今から、お話しする、おばあちゃんは、おとうさんのおかあさんのお話しです。
新宮ばあちゃんと呼んでいます。
新宮町に住んでいるので、みんな、そう呼ぶ様になりました。
新宮ばあちゃんの家へ遊びに行くと、いつも、ニコニコしています。
お菓子をもらったり、たまに、おこずかいも、もらえます。
そんなやさしい、おばあちゃんが、重い病気になってしまいました。
僕は、ばあちゃんの事が心配になって、おかあさんに聞いてみました。
ばあちゃんは、すぐになおるの?
ばあちゃんは、手術しないといけないと言っていました。
それから、何日がすぎて、ばあちゃんは、手術の出来る大きな病院へ入院しました。
ばあちゃんは、けんさ・けんさの毎日で、とてもつかれていて、ベットに、横になっている日が多く、なってしまったそうです。
僕が、お見まいに行った時も、歩く事ができなくて車イスで移動していました。
体は、細くやせていて、顔は、まっ白になっていて、とても、おどろいてしまいました。
ぼくは、ばあちゃんが早く治ってほしいと思いました。
僕がばあちゃんにしてあげるしてあげることがないか考えました。
でも心の中で祈ってあげる事しか、出て来ません。
そこに、おねえちゃんがみんなでつるを折ろうと言ってました。
そうだ!つるだ。みんなで千羽づるを折る事になりました。
家族、親せき、みんなでつるを折りました。手術に間に合わせる様につるを折っていましたが、大人達にくらべるとスピードがおそく、最後は、大人達が夜おそくまでかけて、つるを千羽折り手術の日に合わせる事が出来て安心しました。
千羽づるは、ばあちゃんに千羽づるは、ばあちゃんにとどけ、みんなで折ったことを伝えると涙を流してよろこんでくれた。
手術は成功して悪いところは取って今度、入院する時は薬と治療になるそうです。
今のばあちゃんは、少し元気が出て来たみたいで、車イスを使わなくても歩ける様になりました。
大好きなばあちゃん早くよくなってね。病気なんかに負けないで長生きしてね。。


博多祗園山笠振興会賞 竹本 俊一郎  (照葉小学校5年)
「ぼくの大きな夢」

ぼくは、3才のころからずっと、お医者さんになりたいと思っていました。ところが、9才のころ、急になりたいものが変わりました。ぼくは、今、ロボット博士になりたいと思っています。  
ロボット博士になりたいと思ったきっかけは、いろいろあります。ロボットのアニメを観た時、それがとてもおもしろかったことや、ふしぎのサイエンスという本についてきた、工作を自分で作って動かした時、ワクワクしたことなどです。  
それから、ロボットに興味を持つようになって、まず初めに、百道にあるロボスクエアという小さなロボット博物館へ、よく行くようになりました。毎週のように行って、見学したり、工作教室に参加したりしました。  その次に、リモコンで動く、ゴリラのロボットや、六本足で歩くロボットや、きょうりゅうのロボットを買って遊んでいました。その中で一番すごかったのが、カップラーメンのけんしょうで当たったロボットでした。今も大切に持っています。  
それから、だんだん本などを読んでいくうちに、自分でも組立ててみたくなりました。ちょうどそのころ、ロビという、組立てロボットのことをテレビで見て、ほしくなりました。とても高いので、お父さんとお母さんとぼくで、よく話し合って、とうとう買うことに決めました。とてもうれしかったですが、ロビは毎週発売で、毎回本とパーツが入ってきて、少しむずかしそうだったので、ぼくにできるかどうか、不安もありました。買ってからずっと、すこしずつ、お父さんに手伝ってもらって作っています。完成するのは来年の夏ごろなので、あきらめないで、がんばって作っていきたいです。  
最後に、ぼくのそんけいしているロボットクリエーターは、高橋ともたかさんです。いつか、高橋ともたかさんに会って、話しをしてみたいです。そして、どうやったら、優秀なロボット博士になれるのか、聞いてみたいです。  
ぼくは、将来、必ずロボット博士になります!


博多祗園山笠振興会賞 三浦 久美香  (七隈小学校5年)
「ブラス」

  私がブラスに入ったきっかけは、姉が前の学校で、すいそう楽部に入っていたことで、私もはやく入りたいなと思っていました。私は、その時一年生でした。前の学校は、二年生から入れるので、あと一年と楽しみにしていました。  
しかし、私が二年生になる年に、転きんしました。次の学校に、すいそう楽部があるか少し心配したけれど、ブラスバンド同好会があると知って、安心しました。  
しかし、ある日、ブラスのポスターを見つけ、読んでみると、三年生からと書いてあり、「ええっ」と思わず声に出してしまいました。しかし、仕方のない事なので、また一年がまんしました。  
そして、三年生の夏に、私は、ブラスの見学に行きました。音楽室に入ると、いろんな楽器を持った人たちが、こっちを見ました。とてもきんちょうしました。でも、先ぱいたちが、やさしくはなしかけて下さって、少しずつなれていきました。  
その日、帰って、私は、母と話し合い、ブラスに入ることになりました。次の練習の時に、ブラスに入るための紙を、先生にわたし、私はブラスの一員になりました。その日から私は、自分の楽器を決めるため、いろいろな楽器をふきました。  
ある日、先生によび出され、ピアノの方へ行きました。いよいよ私の楽器が決まるのです。ドキドキがとまりませんでした。そして決まった私の楽器は、トロンボーンです。トロンボーンは、他の楽器とちがい、スライドを使って、音を変えるので、とてもむずかしい楽器です。でも、先生や先ぱいにこつを教えてもらい、今では、楽譜を見ただけで、音を出せるようになりました。そんな中、私ががんばっているのは笑顔です。このブラスの目標は、みんなを笑顔にできるえんそうをするです。みんなを笑顔にするには、まず、自分が、笑顔でいた方がいいと思いました。でも、笑顔になるのは、むずかしいことではありませんでした。私は、楽器をふくのが好きで、トロンボーンも、小さい時から好きで、ふいているだけで、笑顔になれます。でも、つい、きつくなると、顔が、おにのようになってしまうので、それをきをつけたいと思います。


毎日新聞社賞 河野 未夢  (香椎第三中学校2年)
「ダンシングライフ」

私が大好きなこと、それはダンスです。ダンスといってもたくさんの種類がありますが、その中でも私は「チア」というジャンルのダンスをやっています。
私はもともと、体を動かすのが好きなわけでも、運動が得意なわけでもないのですが、なぜか小さいときからダンスをしているときはとても楽しく、本当にダンスが大好きでした。
ダンスは、体全体で表現したり、自分だけの表現ができるところが楽しいです。私は小さい頃にテレビでダンスをしているのを見てかっこいいと思い、小学校一年生でダンスを始めました。初めてダンスをしたときは、見よう見まねで夢中になってやっていました。二年目になると少しは上達し、自分なりに踊れるようになりました。 そんな中でも、ダンスをやっていて苦労したことはたくさんありました。なかなか思うように踊れず、立ち位置決めなどの大事な場面でうまくいかなかったり、ダンスでは抜かされることはないと思っていた人に追い越されてしまったり、ときには、悔しい思いや辛い思いをしてやめたいと思ったこともありました。
そんなときに支えになっていたのは、一緒にダンスをしている友達の言葉でした。友達は私が落ち込んでいるときに、「次頑張ろう!」「めっちゃ上手やったけん、絶対いけるって!元気出しっ!」と優しく励ましてくれました。その言葉は私を、あきらめずに一生懸命頑張ろうという気持ちにさせてくれました。すると、次のレッスンからは楽な気持ちで、楽しく踊れるようになりました。発表会でも、今までの悔しい気持ちを忘れるくらい心から楽しく踊ることができました。これまで続けてこれたのは、そんな仲間がいたからです。
ダンスを通じて、ダンス以外のこともたくさん学べたと思います。発表会を終えて今までの頑張りを出しきれたときの達成感。困っているときにお互いを助け合う気持ちや、影で支えてくれている先生や両親への感謝の気持ち。本当にたくさんのことを学びました。練習中はライバルの仲間も本番が終われば本当の仲間になれた気がします。
今は四年目で、始めた頃に比べると心身共に成長したと思います。これからは自分が楽しむだけではなく、見ている人も楽しませるようなダンスをしたいです。そのために、踊る前に「今日は落ち込んでいる人を元気づけるようなダンスをする」など、見ている人へのメッセージをもって、笑顔で楽しく踊りたいと思います。「踊っている自分も見ている人も楽しいダンスをする」ことを目標にし、これからもダンスを通じて学んだことを活かして、ますます楽しんでいきたいです。


毎日新聞社賞 廣津 優利菜  (香椎第三中学校2年)
「好きだから、頑張りたい」

 放送部の大会は部員全員で作るラジオ、ビデオの部内のオーディションで選ばれた人しか出場できない、朗読部門、アナウンス部門があります。私の夢は朗読部門で全国大会に出場する事です。 私は昔から、絵本の読み聞かせや、教科書の音読が好きでした。話す事も好きでした。だから放送部に入りました。
でも部活は「好きだから」でなんとかなるものではありませんでした。練習しないと上手くならない。上手くない人に出番は絶対来ない。そんな世界でした。それなのに私は、「とりあえずしとけば出番ぐらい来るでしょ。」と好きで入った部活の練習をおろそかにしていました。もちろんそんな私に出番など来るはずもなく、校内放送も運動会も出番はミキサーだけでした。もちろん仕事を頂けただけでもうれしいし、ミキサーも立派な仕事だけど、同学年で選ばれた子がアナウンスしてるのはとても悔しかったです。
その時から私は変わろうと決意しました。好きだからこそもっと上手くなりたい。自分もアナウンスをしたい。毎日家で早口言葉の練習をする様になりました。発声練習では誰よりも大きな声を出す様にしました。
一年の二学期、私に初めて出番が来ました。一、二分程の出番でしたが、私はとてもうれしくて、半泣き状態でした。その時、好きっていう気持ちと努力さえあれば、必ず目標に近づけると実感しました。 私は他の人より滑舌が悪いし、イントネーションもよく間違えます。だからこそ、他の人が十回練習したら、私は二十回練習し、他の人が一回ほめられたら、私は二回ほめてもらえる様に、家でも部活でも練習しています。
私はアナウンスが、朗読が、練習が、放送部が大好きです。大好きだから一番上手くなりたい。大好きだから大会に出場したいです。 つい先日、大好きな先輩達が卒部しました。全国大会優秀賞という成績をおさめた先輩達は私達後輩に、 「全国大会で優勝してね。」 と、期待のメッセージを残していきました。
私は先輩の期待に答えられるよう、もっともっと努力して、放送部としても個人としても全国大会に出場したいです。大好きだから、この目標を絶対に叶えたいです。 「好きだから、頑張りたい。」


毎日新聞社賞 田中 航平 (千代中学校3年生)
「俺たちの祭り山笠たい!」

私たちの町、千代町は7月に入ると、男たちが頭に血がのぼるほど山笠にのぼせます。私もそののぼせもんの一人です。
私は五月生まれで、その二ヶ月後は、締込をして、首が座ってない状態で初めて山笠に出ました。今は、その時の記憶なんてありませんが、父からそういう風に聞いた時は自分でもびっくりしました。もうその時から、山のぼせは始まっていたと、思いました。今ではすっかり山にのぼせています。
私は中学一年生の時に初めて大人の舁き山を舁きました。子供山笠みたいに途中途中で止まらなく、スムーズに変わっていく、舁き手に私はおどろきとすばらしさを感じました。
それに十二日と十五日の棒組の緊張感と迫力感、私は初めての棒組に武者ぶるいをしました。この舁き手の中で競い合ってこの先、千代流を支えていくのを思うと楽しくてしょうがなかったです。やはり中学生の時は持久力があるので何回舁いたとかを話したりして、同級生の中で何番とかどっち肩とか話すのも山笠の楽しみでもあります。
私が中学二年生の時、十五日の棒組で見送りの左肩棒鼻三番に選ばれました。肩をたたかれた時、頭の中が真っ白になり、台据えの舁き出しの時にこけてしまって尻の皮がただれ、皆から大丈夫、大丈夫と聞かれて恥ずかしくなって、櫛田入りをどうするか迷っている時にその時の隊長のあやべさんにこのてっぽうば、お前にやるけん、頑張っちゃれと言われた時、舁こうと思いました。ですが、その年の櫛田入りはあまり良いタイムは出ませんでしたが、最終まで舁けたので良かったです。櫛田さんから出た時にしゅんくんから良かったと言われた時はとても嬉しかったです。
私は山笠を通して学んだことが二つあります。
一つ目は前の方に書きましたが、山笠を支えるという、歴史を学ぶことです。
二つ目は山笠が終わったあとに開かれる直会で縦社会を学ぶことです。ビールやみそ汁を配るのは大変ですが、私が社会に出た時の為に上の人の言う事は大切だと山笠を通じて学びました。それに奉仕の心も必要だと思いました。ただ、ビールを持って来いと言われて持っていくのなら、小さい子でもできます。大人の方の机の方をちょっとずつ見ながら、なくなったら持っていけるように気配りをしながらやっていきたいと思います。
そして、私たちが次に千代流を支えていきます。


毎日新聞社賞 辻 杏奈 (箱崎清松中学校3年生)
「あの頃の二人」

 私が大好きなことは大好きな祖父の家へ行くことです。
私は、小さい時から祖父のことが大好きで、よく、祖父の家へ遊びに行っていました。そして、夏になると、自転車の後ろのかごに私を乗せ、家の近くの道を暑い中、何周も、漕いでくれました。その道は、植木鉢で作ってある人形が飾ってある道の家の前を通る道なので「植木鉢の人形の道」と二人で名付けていました。 祖父の家は、豊前市の田舎なので、自転車に乗っていると、豊前の田舎の香りがして、大きな花びらのひまわり畑を見るのが、とても大好きでした。そして、夜になると、祖父と二人で、家の前で、花火をしていました。
そして、春になると、祖父と二人、庭で、あみを持ち、モンシロチョウを追いかけて、一生懸命、走って、捕ってくれました。他にも、休日によく、私一人を迎えに来てくれて、連れて帰ってくれました。しかし、幼かった私は、夜になると、泣きながら、「さあ、帰るよ。」と言っていました。すると、祖父は、片道二時間かけて、連れて帰ってくれて、一日で二往復して、行ったり来たりしてくれました。
母から聞いたことですが、その時、祖父は、目の下が、真っ青になり、クマが出来ていたそうです。しかし、そのようなことは、何度も繰り返していたのにもかかわらず、それでも祖父は休日になると、私を迎えに来てくれました。なので、その日の夜は、お酒を飲まずに、スタンバイしていました。
今思うと、あの時は、たくさん迷惑をかけ、とても悪いことをしたと思っています。 それ以外にも、祖父は、いつも優しくて、おもしろく、私の気持ちをよく分かってくれて味方をしてくれたり、私が落ち込んでいると、あのいつもの優しい笑顔で励ましてくれます。
なので、私は、大人になったら、初給料で、何かプレゼントしてあげようと思っています。そして、私が二十歳になったら、一緒に、お酒を飲みに行く約束をしています。 祖父には、体に気をつけて、いつまでも、元気で、長生きして欲しいと思っています。


毎日新聞社賞 横山 満理奈 (箱崎清松中学校3年)
「私にとって大切な人」

 私は吹奏楽部に所属していた。夏の中文連では、自分が今できる精一杯の演奏をすることができ、悔いの残らないコンクールとなった。それには、顧問の先生をはじめ、先輩や後輩、ずっと見守ってくれた家族、そして共に励まし合い、支え合った同級生の皆。たくさんの人のおかげでここまで頑張ることが出来たのだと思う。
その中でも、一番に感謝の気持ちを伝えなければいけない人がいる。それは、青木さんである。彼女は、部長であり私と同じクラリネットパートでもあるため、一緒にいた時間が長く、同級生の中で最も苦楽を共にしてきた仲間であった。私自身、副部長という立場でもあったため、一番近くで青木さんを見てきたと思う。この三年間、本当にいろいろなことがあった。 中学生になって、特に入りたい部活もなくなんとなく入部したのが吹奏楽部だった。
しかし、入ってみると楽器を吹くことの楽しさを感じたり、毎日の練習で少しずつできることが増えたりしたので、入部して良かったなと思えた。初めてのコンクールでは、一年生の中から出す人を決めて発表すると言われ、緊張しながらその発表を待った。後日、発表がありクラリネットパートからは私と青木さんが出ることになった。それから、二人で一生懸命練習し、本番では先輩と楽しく演奏することができた。
それからしばらくして部長、副部長の発表があった。青木さんが呼ばれ続いて私も呼ばれた。私はうまくやっていける自信がなく不安だった。けれど、青木さんとなら頑張れると思った。部長である彼女の元には、部活で起こった問題が全てと言っていいほど集まってきた。そのたびに、青木さんは悩んでいて、それを見ていた私も、出来る限り協力した。時間が足りず、学校で解決できなかった時は、電話をしてその問題が解決するまで話したりしていた。一緒に問題を解決することにより、信頼関係を築いていくことができたと思う。
こうして私にとって彼女は、なくてはならない必要な人になったのだった。 中学校最後のコンクール。私は彼女に手紙をもらった。その内容は、 「部活ももう終わるね。とても感謝しています。今までありがとう。」 というものだった。私も彼女に感謝の気持ちを伝えるために手紙を書いた。こうやって、お互いに自分の気持ちを伝えることができるのは、今まで傍で支え合ってきたからだと思う。
吹奏楽部に入って、彼女のような信頼できる仲間をつくることができ、部活の楽しさも実感することができたので、本当に良い経験ができたと思う。これからの生活の中でも、信頼できる人をどんどん増やして、その人が私にとって大切な人になるといいなと思う。


NTTドコモ賞 生野 凱翔 (赤間小学校1年)
「ぼくが大すきなこと」

 ぼくは、水えいが大すきです。 あかちゃんのころからすきです。
あかちゃんのときは、プールがたのしくて、はしゃぎすぎてつかれてプールの中でだっこされたままねたこともありました。
でも、ようちえんのとき、はなと耳のびょうきになって2ねんくらい水えいができなくなりました。
大すきな水えいができなくなってイヤでした。
水えいができないとき、プールのまえをとおったらいいにおいがしておちつくなあとおもいました。
プールに入れないとき、おかあさんといっしょにトライアスロンをはじめました。
じてん車と走るれんしゅうもしたけど、やっぱりおよぎたいとおもいました。
今は、はなと耳がいたくないときはプールに入れるようになりました。
またおよげるようになってうれしいです。
今はスイミングのせんしゅコースでがんばっています。
せん手コースのれんしゅうはきついし、今はせん手の中で一ばんおそいです。
ながいじかんはやくおよいでいるときつくなるけど、およげないほうがイヤなのでがんばれます。
大すきな水えいができてぼくはとってもうれしいです。


NTTドコモ賞 梶原 華乃 (博多小学校1年)
「わたしやまかさでたよ」

 7がつのはじめにわたしは、うまれてはじめて、やまかさにでました。
たくさんはしって、みずに、かかりました。みずはつめたくて、とてもきもちよかったです。  
まず、さきばしりをしました。へそをやまのほうにむけて 「オイサ!オイサ!」 と、こえをかけ、よびます。そして、やまがちかくにきたら、こんどは 「1、2、3、やー!」 といって、しゅっぱつします。  
つぎに、だいあがりも、させてもらいました。まえはおもて″うしろはみおくり″といって、どちらも、なんども、のせてもらいました。  
だいにあがったらすごくたかいし、おちないように、うしろのあかいぼうを、しっかりもちました。
かぜが、つめたくかんじました。はしるのは、とてもきついし、むねがくるしくなりました。  
おわったあと、もらってたべたアイスクリームが、とてもおいしかったです。  
らいねんも、やまかさにでたいです。


NTTドコモ賞 赤塚 紗羽 (赤坂小学校2年)
「しゃしんをとりました。」

 わたしがだいすきなものは、しゃしんです。  
とくにしゃしんをとったりとられたりすることです。
いまいちばんこころににこっているのは、けっこんしきのしゃしんです。  
今年の夏休み、わたしはおとうさんおかあさんけっこんしきのしゃしんをかぞくでとりました。
みんなのおとうさんおかあさんは、みんなが生まれる前にけっこんしきをあげてしまうし、近じょで知っている人たちのけっこんしきしか見たことがない子が多いと思います。
でも、わたしは、生まれたあとにかぞくでけっこんしきのしゃしんをとりました。  
わたしのいもうとは、ピンクのかわいいドレスで、わたしはくろとむらさきのドレスで、おかあさんは、ふんわりとしたきれいなウェディングドレスでおとうさんは、はいいろのかっこいいタキシードで、かっこよくきめました。  
しゃしんは、かぞく四人でとったり、おじいちゃんおばあちゃんたちも入ってとったり。
きょうかいでは、おとうさんおかあさんと手をつないでとりました。  
さいしょはきんちょうして、目がわらえていませんでした。
一ばんむずかしかったところは、足と手をきちっときめることです。
足は右足のまん中に左足のかかとをつけて、手はおなかの下ぐらいに、左手を四にしておなかにあてます。つぎに右手も四にして左手をかさねて、ポーズをとりました。  
わたしのいもうとは、と中でねちゃったりないちゃったりしたけれど、わたしがにっこりわらえるようになったときは、いもうとも目がさめました。  
さいごの一まいは、かぞく四人でとったしゃしんです。わたしはじょうずににこっとわらえるようになったし、いもうとはおきて、おとうさん、おかあさんもいいえがおだったので、ばっちりきまりました。  
わたしがしょうらいけっこんするときは、ドレスにするんだったら海外で、きものだったら日本でしきをあげたいです。
ドレスがいいか、きものがいいかかぞくにきいてみたら、「まださわは早いよ。」と、いわれました。  わたしはもう一つのゆめがあります。
それは、みんなを元気にさせるために「アイドル」になることです。
目をにこっとしてざっしにのりたいです。
かぞくでとったときにカメラマンにおしえてもらったしゃしんのとられかたが、アイドルになってもやくにたつと思います。
しゃしんは、とって、何年かたって見ると、「ここは、こういうところだったんだ。」「なつかしいな。」「あのときたのしかったな。」と思うのがわたしはすきです。


NTTドコモ九州賞 倉光 杏奈 (野多目小学校3年)
「大すきなダンス」
 わたしは、ダンスをすることが大すきです。  
四才のころからダンスをはじめました。今は、あまりおぼえてないけれど、はじめてすぐのころは、家で一人で楽しくおどっていけれど、レッスンでみんなといっしょにおどろうと言われると、はずかしがって 「いやだ!いやだ!」 とおどらなかったそうです。その話をお母さんから聞いて、うそみたいとわらってしまいました。  
三年生になってから、ジュニアクラスという小学校高学年のクラスに上がりました。これまでとはちがって、早い動きやむずかしいフリがふえて、五、六年生についていくだけでひっしです。とてもつかれます。ダンスのレッスンがある日は、夜、目をつぶったらすぐねむってしまいます。どんなにつかれても、みんなでおどることが楽しすぎて、やめたいと思ったことは一回もありません。  
ジュニアクラスに上がって、はじめての夏休み、たくさんのおまつりやイベントでダンスをすると聞いていたので、とても楽しみにしていました。しかし、夏休みに入ってすぐに左手をこっせつしてしまいました。お友だちとボールであそんでいて、ぶつかってしまいました。  
びょういんで、しばらくうん動してはいけませんと言われて、ショックでした。とっても落ちこみました。  ダンスのレッスンは、手がよくなるまで見学です。みんなといっしょにおどれないのがくやしくて、またまた落ちこみました。  
ボーっと見学していたら、お母さんから、 「お客さんになったつもりで見たら?」 と言われました。自分がお客さんになったつもりでみんなのダンスを見ていると、いつもこんな風に見えていたのかー。といろいろ気づくことがありました。  
ケガをしてダンスができないからざんねんと思わないで、みんなのダンスを見て、いろいろべん強しようと思いました。  
なおっておどられるようになったら、お客さんによろこんでもらえるように、え顔で楽しいダンスを力いっぱいできるようにがんばりたいです。


NTTドコモ九州賞 村崎 凪 (大原小学校3年)
「ぼくの大すきなサッカー」

 ぼくは、ようち園の年長のころにサッカーをはじめました。サッカーなんてさいしょは、ぜんぜんきょうみがありませんでした。でも、友だちが楽しそうにサッカーをしているのを見て、ぼくもちょっとしてみたくなりました。
サッカーの先生から声をかけてもらってはじめてサッカーに入ることができました。  
はじめは、ちょっときんちょうしました。でも、ゆう気をもってちょうせんしました。その時はじめて思いました。サッカーってこんなにむずかしんだなあと。けりたい所にいかないし、ドリブルで前にすすめないし、思うようにいかないことばかりでした。だから、一生けんめい練習をして少しずつうまくなっていきました。  小学校に入っても、サッカー部に入りました。一年生の時は同じ学年の子は、ぼくいがいだれもいませんでした。かんとくやコーチ、上の学年のみんなから「ける力が強くて上手だね。」と、言われすごくうれしかったです。それは、三年生だったつばさくんという子が、とてもやさしくていねいに教えてくれたからだと思います。  
二年生になって新しく同じ学年の子が二人入ってきました。でも、うれしくて、楽しくて、三人で練習をふざけることも多くなってきました。かんとくからもしかられることが多くなりました。お母さんからも、「もうやめさせるよ。」と、言われ、ぼくはサッカーが本当にすきか考えました。 大すきなんだ。ぜっ対やめたくはない。 それからは、まじめにとりくみました。  
三年生になったら、前にくらべてだいぶボールを思うようにはこべるようになってきました。ぶつかっていける気もちの強さもでてきました。練習では、MVPもとれるようになりました。でもまだまだです。練習すればしただけ上手になります。お母さんから、「何でも、ど力したら、しただけ力になるよ。」といつも言われます。  
ぼくのゆめはサッカーせん手です。大すきだから、つらいことやきついことがあっても一生けんめいがんばります。


RKB毎日放送賞 小森 ななみ (三筑中学校1年)
「本が大好き」
 私の好きなことは、本を読むことです。特に小説や伝記が好きです。 昔は、子供向けの本しか読めなかったけど、今は大人が読むような本も読めるようになりました。
私が、本が大好きになったきっかけは、四つあります。  
一つ目は、私が小さい頃、お母さんが毎晩本を読んでくれたことです。お母さんが言うには、私は『きんぎょがにげた』という本をよく持ってきていて、読んであげていたそうです。お母さんは、私がお腹にいる時から本を読んであげていたから本が好きになったんだと思うと言っていました。  
二つ目は、弟に本を読んであげていたことです。私は、三歳頃から弟に本を読んであげていて、まだ字が読めなかったからデタラメではあったけど、二人で楽しそうに読んでいたそうです。もう少し年が上がると二人で人形劇をして遊んだりもしました。台本を書いて、セリフを喋って・・・とても楽しかったです。  
三つ目は、お父さん・お母さんが本をたくさん買ってくれたことです。小さい頃から絵本や小説をたくさん買ってくれて、何か頑張った時のご褒美はいつも本でした。最初は、イヤだなぁと思っていたけど、今はそれがすごく嬉しくて選ぶのにドキドキしています。  
そして、4つ目は、たくさんの図書館に通ったことです。小学校に上がった頃からお父さんに連れられてよくさざんぴあに行っていました。今では、1人でも行けるようになりました。さざんぴあだけでなく、春日市にある図書館にも行っていました。そこは、弟の習い事の場所の近くでお母さんが弟を見ている間に行っていました。公共の図書館だけでなく、小学校の図書館にもたくさん通いました。公共の図書館とは違って身近で温かい雰囲気でとても落ち着きました。だから中休みや昼休みの暇な時には、必ず行っていました。
そして、今年4月。私は、新しい図書館と出会いました。中学校の図書室です。中学校の図書室は、小学校の図書室とは違い、本がとても分厚いことに驚きました。分厚いけど中学校の本は、面白い本ばかりで図書室に行くことがすごく楽しみになりました。  
以上の四つが私が本のことが大好きになったきっかけです。本は、私達に色々なことを教えてくれます。嫌いとか言う人もいるけど、少しでも魅力を感じて、面白いって思ってほしいです。本は、私にとって大切な物で、これからも色々な本と出会うと思います。その一冊一冊を大切にしていきたいです。


RKB毎日放送賞 後藤 早紀 (三筑中学校1年)
「君の大好きなこと」

 私の大好きなことは、手紙を書くことです。
手紙は言葉で伝えにくいこと、言いにくいことをありのままかけることもできますし、遠く離れた人や、会ったことがない人にも想いを伝えることができます。  私はよく、仲直りしたいときに手紙を書きます。 自分の口で言った方が一番良いですが、手紙の方が素直に書けるので手紙で書きます。 ケンカをしてると、目が合ったら憎たらしく想い、きつい言葉しかでてこなくなるので、一回一人になってから手紙を書くと本音がでてきます。なので手紙にはよく助けられます。  
また、遠く離れた友達にも書いたりします。最近あった出来事とかを書いたり、相手の調子を聞いたりなど、何でも無いような事を書いたりして、相手が読んでる顔を想像してみたりして書いています。そういうときが一番楽しいです。  
時には、祖父母に絵はがきを書いたりします。手紙を書く際に分かりやすいように絵をそえたりして送ります。祖父母のところは、祖母と祖父だけなので、さびしく思わないように元気が出そうな絵はがきを書いたりします。  
手紙を書く際、気をつけていることもあります。手紙は捨てない限り形に残るので、言葉には注意しなくてはいけません。きずつけるつもりはなかったとしても、そういう文章になっていたらいけないので、言葉を選んで書いたり、何回も読み直したりすることを気をつけるように注意しています。ここにも、手紙しかできないことがあるのを、気づきましたでしょうか。言葉は、言ってしまったらもう戻ってきません。もちろん心の中に良い言葉も残りますが、悪い言葉も残るんです。けれど手紙は、冷静に書くこともできますし、読み直す、考え直すこともできます。私はこういう手紙の良さも好きです。  
このように、私は手紙を書くことで、だんだん良さが見えてきて、どんどん好きになります。普段伝えにくいことを、言葉に気をつけて伝えたり、遠く離れた人に色々なことを聞けたり、言葉によっては、人に元気を与えれる、そんな手紙はとても好きですし、すてきです。これからも、注意点に気をつけながらも手紙を書いて、もっともっと大好きになりたいです。


RKB毎日放送賞 西野 愛子 (原北中学校1年)
「大好きな部活ハンドボール」
 私の好きな事。それは、たくさんある。ピアノに習字、絵を描く事。でも一番は、ハンドボール部。それには理由がある。  
四月、中学校に入学してすぐ、仮入部があった。友達が一緒にハンドボール部に行こうとさそってくれた。仮入部に行ってみると、先輩も優しくておもしろいし、練習がとても楽しかったので、ハンドボール部に入ると、すぐに決めた。  
初めての部活は、とても楽しかった。毎日、部活を楽しみにして学校生活を送っていたある時、部長がキーパーをやりたい人がいないか聞いてきた。私は、先輩のシュートをとめてみたいと思って手をあげた。私以外の二人も手をあげていた。私は、三人の中で一番のキーパーになると心に決めた。   しかし、練習はどんどんきつくなっていった。毎日たくさん走って、球拾いをして、声だしをする。キーパー練習はさせてもらえない。本当に三年間、続けられるかな。入部したころの気持ちが無くなっていった。  
七月、三年生の先輩方が引退して、一年生も普通の練習に参加できるようになった。初めての練習は、全然出来なかった。遠投も相手まで届かなかった。悔しかった。どうしても上手くなりたいと思って、本でキーパーについて調べた。毎日ストレッチや筋肉づくり、川も走ったりした。ある日遠投をしていると、「前よりボールが届く距離がのびたね。」と友達に言われたので、とてもうれしかった。努力は必ず報われるんだと、改めて思った。  
それからは、もっと色々な事が上手くなりたいと思って、一生懸命練習した。すると、とても練習が楽しくなった。だんだん、入部した時の気持ちを思い出してきた。あのころは、毎日楽しみながら練習していた事を思い出して、これからは、もっと練習を楽しもうと思った。  
今年の十一月ごろに新人戦がある。一年生にとって初めての試合だ。さらに、キーパーは二人ベンチに入り、試合に出れる。残る一人は、ベンチも入れないし、試合にはもちろん出れない。私は、これからもキーパーとして、新人戦に出場できるように、毎日の練習を真面目にする。そして、自主練やキーパーについての勉強をたくさんする事を心がけたい。私の大好きな事、ハンドボール。これからも、ずっと大好きでいるために、たくさん練習して、二年後笑顔で引退できるように今から頑張りたい。


RKB毎日放送賞 松延 百花 (原北中学校1年)
「私と習字」

 私が大好きな事、それは習字です。  
その中でも最近始めた行書です。行書は、字のつながりがしっかり表われて書いている時、とても気持ちがよいです。  習字を習い始めたのは、小学二年生の三学期頃です。始めたきっかけになったのは、祖父に勧められたからです。祖父は近くに住んでいて、いつも習い事の送り迎えや、食事など、私たち兄弟のために色々してくれます。  
ある時、祖父に「字は、一生使うものできれいなほうがいいよ。」と言われました。三年生から学校で、習字も始まるので、なんとなく習ってみました。  
すぐには、正座や筆で書くのはなかなかできなかったけど、そのうちにだんだん慣れていきました。どんどん級が上がっていくのに楽しさが沸いていきました。ついに、段にも上がりました。でも、それから何度も上がらない事が続いていきました。今まで上がっていっていたのが急に止まっていったので、もうダメなのかなとあきらめかけた事がありました。そんな時、家族が「段になったんだから、上へ行けば行くほど難しくなるんだよ。」と励ましてくれました。  
それから、またがんばって、時には悲しくても、それが次の目標となり、やる気が身についていく事に気づかされました。  
だから、「失敗は成功のもと。」と言うのは、こういう事だと感じました。  常に、私はマイナス思考で他の習い事も途中であきらめてしまいました。でも、習字だけは、つらい時を乗り越えて、ここまでこれたので、自分自身「辞めたくない」と言う意志がでてきました。乗り越えてよかったなと初めて感じました。それだけ習字を続けてきた中で何か気づく事や、感じるものがあったという事だと思います。  
中学生になり、大人の部として、さらに難しくなりましたが、また努力すれば昇段と共に何かが身について、自分が成長していける信じています。  
今の時代は、筆で字を書けなくてもあまり不自由しない時代です。ですが、私は昔からの日本の文化、動物の毛を使ったやわらかい筆と半紙に墨がつく所が好きです。  
だから、私はこの大好きな習字をこれからもずっと続けて行きたいです。そして、習字だけでなく、たくさんの事に挑戦し、色んな事を経験していきたいです。


RKB毎日放送賞 竹下 純太郎 (舞鶴中学校2年)
「サッカー」

 僕が、大好きなことは「部活動」だ。理由は、部活動は、同じ学年のメンバーや先輩、後輩という関係の中で、はげまし合い、なにもかも忘れて、一生懸命活動できるからだ。  
僕は、中学一年の時から、サッカー部に所属している。僕は、サッカーを習っていたこともなく、入部した時は一番下手で先輩のプレーを見ると、いつも、「すげぇ。自分もあんなプレーをしてみたい。」と思っていた。もちろん、試合にも出られなかったので、練習は毎日休まず、全力で頑張った。土日の練習では、集合の三十分前には、学校に着き、自主練をしていた。練習の後は、急いで片づけを始めて、自分より上手な人より何倍も動いた。   
そんなふうにいつも練習していても、きついとかめんどくさいとか一度も思わなかった。むしろ、とても楽しかったし、どんどんサッカーが好きになっていった。  
そして、三年生がいなくなり、ユニフォームももらって、試合にも、出られるようになった。やっぱり、試合と練習は全然違った。最初の方は、あわててよく相手にパスをしていた。動きも変わり、とても難しく感じた。  サッカーは、頭を使うゲームで、頭の悪いやつはできないと、よくコーチが言っている。相手をだましたり、相手の裏を取ったりと、とても難しい。僕は、コーチが言った言葉を聞いて、確かにそうだと思った。だが、そうやって、頭も使うスポーツだからこそ、サッカーは楽しいんだと思う。試合の時も、自分のイメージどおりのプレーや自分のサポートで点が入った時は、とてもうれしいし、「サッカーっておもしろい。」と思う。  
今も、みんなの足を引っぱってばかりだ。しかし、先輩やコーチから言われたことをしっかりと理解し、直していくことでまたちょっと上手になり、そうしてどんどんレベルアップしていく。大変な練習もあるけれど、仲間と頑張る。そうやって、僕は、大好きなサッカーを続けていきたいと思う。今、僕が楽しくサッカーをできるのは、試合の時、僕より早く起きて、お弁当を作ったり、スパイクなどを買ってくれるお母さんのおかげということを、しっかりとうけとめ感謝したい。そして、その応援を練習で一生懸命がんばり試合の結果で返したい。今はそれぐらいしかできることはないけれど、きっとそれが一番、お母さんや支えてくれる人に伝わる感謝の気持ちだと思う。それを、常に心にとめて、日々の練習をとりくみたい。


NPO博多の風賞 帆足 香凜 (照葉小学校6年)
「私の一番」

 私が一番しあわせを感じるのは、お父さんとお母さんが休みの日です。 三年生の時、お母さんとお父さんに手紙をもらいました。その手紙には、「産まれてきてくれてありがとう。仕事が忙しくてごめんね。でも帰って来たら『お帰り』と言って玄関に走って来てくれるのがとってもうれしいです。」って書かれてありました。私は、これが大切な宝物です。 私のお父さんとお母さんは、土曜日や日曜日、祝日に毎回休めないので、なかなか家族三人で遊びに行けないけれど、平日に休みだったら、早く帰ろうとか、今日は友だちと遊ばないでおこうとか思ったりします。 短い時間だけど、起きてから学校や仕事に行く前や、仕事から帰って来てから寝るまでが、かけがえのない時間で、とっても大切な時間に感じます。土曜日とか日曜日とかに休みがとれたら、どこに行かなくても何をしなくても楽しくて幸せに感じます。きっとそのときがだれよりも一番幸せだと自信を持って思えます。 夏休みにお父さんがマラソンから帰ってきたとき、熱中症で倒れてしまいました。そのときは、とってもこわかったです。このまま死んじゃうんじゃないかとか、余計なことばっかり考えて、パニックになりました。 ひと一倍家族の時間がしあわせで楽しいって感じるから、ひと一倍心配で、こわくなるんだとそのとき思いました。 これからまた、こんなことにこんな気持ちになりたくないから、これからは、お父さんお母さんをひと一倍幸せにして、ひと一倍親孝行をしてあげたいと思います。いつもはなかなか言えないけれど、「ありがとう」を今日は言ってみようかなぁって思いました。


NPO博多の風賞 井上 創太 (松崎中学校1年)
「死ぬまでサッカー」

 これがないと生きていけない。そう思えるものが僕にはある。それは、一つのボールをゴールに入れた数で競う、そう、サッカーだ。  僕がサッカーを始めたのは、幼稚園の年長の頃で、なぜサッカーを習おうと思ったかは覚えていないが、その時から僕はサッカーを存分に楽しんでいたと思う。だから、今もサッカーを続けられている。  
ただ、サッカーを辞めたいと思ったことは過去に何度かある。暑い中練習するのがイヤ、走るのがキツい。僕の停滞期が訪れるのは、そんな時だった。こんなに頑張っているのになかなか上手くなれない、試合につかってもらえない。そうなると、仲間からのパスをあまり欲しがらず、「ミスをしたらどうしよう。」と考えてしまい、ついにボールから逃げてしまうようになる。  
おまけに宿題がおろそかになり、睡眠時間も短く、自由な時間もない。そんな時、つい母親に愚痴ってしまう。すると母は決まって、 「そんなにキツいなら辞めればいいじゃん。」 と言い、全く相手にしてくれない。なぜなら、母は、僕がサッカー無しの人生を歩めるはずがないことを知っているからである。  どうして僕は、サッカーを辞められないのだろう?こんなにキツくて辛いのに。それはきっと、その「キツい」の先に本当の楽しさがある。そして、ほんの少しの勇気でその楽しさを存分に味わうことができると僕は信じているからだと思う。  
こんな僕は母から「サッカーバカ」と呼ばれている。もしかしたらこれは、いわゆる「サッカー依存症」というものなのか?  例えば、こんなことがあった。二泊三日の旅行に行ったが、退屈で退屈で、頭はサッカーの事ばかり。二泊三日の旅行の予定が、僕のせいで、一泊二日になってしまった。そのことに対して、母はそうとう呆れていた。  
つい最近は、こんなこともあった。サッカーの練習中に肉離れを起こしてしまい、医者から暫く休むようにと言われたので、その日一日は、おとなしくしていたが、次の日には禁断症状が出て、結局、練習に参加してしまった。これには母も、ほとほと呆れていた。  
母はぼくのことをバカというが、母の「チョコレート依存症」のほうが異常だと思う。顔に吹出物をつくって、その度に後悔をして、それでもやめられない母親。僕の方こそ、見ていて呆れてしまう。  「サッカー依存症」の何が悪い。「サッカーバカ」と言われても構わない。僕はサッカーが好きなのだ。本当に本当に大好きなのだ。絶対、死ぬまでサッカーを続けたい。


NPO博多の風賞 杉山 萌愛子 (香椎第三中学校1年)
「「物語」に入り込んで…」

 物語。それは私が小さい頃から大好きなものだ。ページをめくるたびに待っている感動。ハラハラドキドキ、胸を高鳴らせながら続きを読む楽しさ。そんな物語の魅力に、私は引き込まれていった―。 「お会計、八百六十円になります。」 本屋のレジでお金を払う。袋に入れられて渡される本。この瞬間から私のワクワクが始まる。どんな内容だろうか、家に帰ったらすぐ読もう、などたくさんの考えをめぐらせる。そして、家に帰るとすぐに本を開く。  
私が物語に出会ったのは三歳、幼稚園に入ってすぐの頃だった。毎晩、親が絵本を読み聞かせてくれた。その時間が好きで、私はすぐに物語が大好きになった。その頃から物語のドキドキ・ワクワクにはまっていたのかもしれない。親が読み聞かせの途中で寝てしまっても、ワクワクする気持ちがおさえきれずに、ついには自分で読み始めたということがたくさんあったからだ。一人で絵本の世界に入り込んで読んだ楽しさは、今でも忘れられない。私の大切な思い出だ。  
今でも、私の物語好きはどんどん勢いを増している。最近では、いつでもどこでも本を読むようになった。勉強の途中でも、授業間の休憩の時間にも、すきさえあれば本を取り出し、物語に没頭する。このひとときの読書タイムが最高に楽しい。夢中になりすぎて相当時間がたっていることも多い。それだけ物語にはたくさんの魅力がつまっていると私は思う。  
たくさんある物語の魅力の中でも、特に私が 「これこそ物語の一番の魅力だ。」 と感じる、私の心をつかんで離さないもの。それは“読んでいるうちに、周りが輝いているように感じる”という魅力である。物語の情景を思い浮かべながら読むのがとても楽しくて、読み終わったとき、自分も主人公になったような気持ちになって、何事も楽しそうに見えてくる。気持ちが落ち込んでいるときでも、物語の世界にいっとき入り込んでしまえば、明るい気持ちになれる。輝きを失ったように見えた世界が、たちまちキラキラと輝く楽しい世界になったように感じる。これは物語の「魔法」なのかもしれない。この「魔法」に、私は何回救われてきたのだろう。物語は、私を支えてくれる大切な存在でもある。  
小さい頃からずっと一緒だった物語。私を支えてくれる物語。そんな物語は私の宝物であり、今まで読んできた物語は私の大きな財産だと思う。これから先もずっと、おばあちゃんになっても、物語のキラキラした世界を楽しんでいたい。  最後に物語に言いたいことが一つある。 「物語よ、ありがとう。 そしてこれからもよろしくね。」


NPO博多の風賞 竹野 百香 (香椎第三中学校1年)
「私が好きなこと」
 私が好きなことは、料理をすることです。 初めて作ったものは、ホットケーキです。一から十までしたわけではありません。三才だったからです。その時、ホットケーキをひっくり返そうとしてフライパンが足に落ち、やけどをしてしましました。あまりにも痛く、泣いていたけれど、母が作っているのを見て、やっぱりもう一度作ろうと思いました。 でも母は少し反対しました。だから、私は父にたのみ、作らせてもらいました。少しぐちゃっとなったけど、すごくおいしくて、母にもほめられました。 それから次は、みそしるを母と一緒に作って、一人でも作れるようになりました。 あの時、父がホットケーキを作らせてくれたから料理が好きになったし、うまくなったと感謝しています。 今では、たまご焼きをよく作るからあきてきそうになり、ゆずこしょうを入れたり、時にはマヨネーズ、ネギを入れたりし、工夫できるようになりました。 そして、カボチャチーズという新しいレシピも作りました。私はいまいちだったけど、家族は「おいしいよー。」とほめてくれて、うれしかったです。 時には、母が留守にする日があります。私はその間、テレビであったハンバーグの作り方を大まかに紙に書いて、サプライズで作ることにしました。食中毒にならないよう、フライ返しをこまめに洗ったり、手洗いを丁寧にしたりして、気をつけました。ハンバーグを焼く時は、弱火でじっくり焼き、中までちゃんと火が通るよう工夫しました。 すると、母が帰ってきて、私がハンバーグを作っているのを見て、喜んで、 「ありがとう。助かるー。」 と言ってくれました。そして、母に味見をしてもらうと 「お母さんが作ったハンバーグよりおいしいよー。」 と驚いて言いました。 私はうれしくて、もっといろいろな人に喜んでもらえるような料理をいっぱい作れるようになりたいと思いました。そしてまだ、単品しかつくったことがないから、一食分の献立を考えて、バランス良い食事をみんなに作ってあげたいと思います。
でもそのためには、自分の好ききらいをなくさないといけないし、いろいろなレシピを知ったり、考えたりしないといけないなと思いました。そして、コツをつかんで、上手に手早く作れるようになりたいと思いました。  私は、具材を切ったりするのも混ぜたりするのもすごく好きだけど、やっぱり、食べてくれる人が喜んで、「おいしい。」「すごい。」「上手だねぇ。」と言ってくれることが一番うれしいと思いました。そしてそのうち、新しいレシピを考えて、それを食べた人が、「おいしいから、私も今度やってみよう。」とまねしてくれるようにがんばっていこうと思います。


NPO博多の風賞 平嶋 遙花 (香椎第三中学校1年)
「私が夢中になっていること」

 「日焼けしたね。」 最近、私がよく言われる言葉である。私は、この言葉を言われるのが、あまり好きじゃない。この言葉をよく言われる部活といえば。―そう、テニス部だ。  
三年の先輩達が卒部して、新チームになった。今までの練習の仕方が全て変わり、今は「基礎中の基礎だ。」と先生は言っている。基礎でもきつい。特に、夏の暑い日はもっと辛い。もう、真っ黒こげになりそうな状態である。だけど、良いことがある。  
良いことの一つ目は、体力がついていることだ。毎日、校舎周りを五周走り、その後は二十分間走る。二十分という時間はテニスの一試合のだいたいの時間で、一試合走れる体力をつけるためにやっている。走った後のお茶がすごくおいしく感じる。スポーツドリンクだったらもっとおいしい。水のありがたさを一番感じるときである。また、学校の登下校が楽に感じるようになってきた。これは、体力がついた証拠だと思う。体力がついてくるのが楽しみになってきた。  
もう一つの良いことは、打つことが上手になってきたことだ。打つことが上手になると楽しくなるし、面白くもなってきた。また、打つコツもつかめるようになり、どのようにすれば、打てるのかと考えるようにもなってきた。打つ時が、一番楽しいと実感できる。  
私は、部活を頑張っている。理由は、ある目標を持っているからだ。それは、「三年の先輩を超えること」だ。三年の先輩は、この夏の中体連で、団体区大会三位という結果を残した。プレーは迫力があって、歓声もすごかった。私は、「自分も、感動のあるプレーをしたい。」という気持ちを持った。  
だけど、三年の先輩を超えることは難しい。先輩達は、私達より、もっときつかったはずだ。確実に、今より上達しなければ、記録は残せない。  
また、今の段階で辛かったり、きつかったりすると、次の段階では、もっときつくなる。だから、きついや辛いという言葉ではなく、「頑張ろう」などの前向きな言葉に変えていきたい。  
私には、あこがれる先輩がいる。その先輩は、ボールが速くて、私が審判している時、目におえないくらいの速さだ。そして、気持ちがとても強い先輩である。私も、そんな先輩になりたい。だから、私は常に、「自分を超える」ということを意識している。 「日焼けしたね。」 という言葉。それが、 「頑張っている証拠だね。」と言われるように努力していきたい。そして、 「今、夢中になっていることは。」 と質問されたら、自信を持って、 「テニスです。」 と言えるように頑張っていきたい。








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